過干渉型毒親家庭で育つということ

スパルタ教育型・過干渉型毒親の支配下から逃れ、自由を手に入れるまで。

母の死を願う小学生

涙の匂い

 

ピアノも公文も塾もすごくすごく頑張っているのに、いつも厳しくて、暖かい会話がなく、テレビはほどんど見せてもらえず、小学校6年まではお小遣いもなく(小6から月1000円だけ小遣いがあったけど、これもちょっとしたことで怒られてすぐ小遣い停止になったりする)、欲しいものも買ってもらえなかった子供の頃。毒母に平手打ちされることも時々あった。元ピアノ講師の母に、ピアノでちょっと間違えただけでひどく罵倒されて怒られて、私はしょっちゅう泣いていた。おかげでピアノが大嫌いだった。

泣きすぎて涙の塩分で顔がカピカピになることがよくあった。そういう時は、「涙の匂い」がする。海の潮の匂いに少し似ているけど、もっと癖のない感じの匂いだ。

「涙の匂い」ってあるよね?って友達に尋ねてみたことがあって、涙に匂いなんてないよ?と言われた時、涙の匂いを感じるほど泣いたことがないんだなぁ、うちとは違うんだなぁ、いいなぁ、と思った。

「お母さん好き?優しい?」って学校の友達にきいてみては、「うん、優しいよ」「お母さんのこと、好きだよ」と答える友達のことが羨ましくって仕方なかった。

毒母はとても「いつも厳しくて怖い」ので「嫌い」だった。

弟を幼稚園やら塾やらに迎えにいく道中に車で事故って毒母が死んでくれたらいいのになぁ…としょっちゅう思っていた。

そしたらおばあちゃんに引き取られるのかな?おばあちゃん優しいからおばあちゃんと住むのがいいな。

祖母は関東に住んでいたので、一年に1~2回しか会えなかったけれど、明るい楽しい性格で、お喋りするのも楽しくって、いつも会うのが楽しみだった。

私が祖母からの電話の受話器を取った時は、祖母と1~2分話したところで母にすぐ変わるように言われたので(毒母は早く祖母と会話したくてたまらなかった)、祖母と電話で話す機会はあまりなかったのが今でも少し残念だ。

毒親は連鎖する…などとよく言われているが、祖母は毒親では無かったので何故あの祖母から何故毒母が産まれたのかは謎だ。

家庭内は毒母の独壇場

 

毒母は祖母(彼女にとっては母)と話すのが大好きだったようで、祖母から電話があると、長時間話し込んでいたのを覚えている。怒られている途中に祖母からの電話があると、ホッとしたものだった。

毒母はきっと自分の話をきいてもらいたくってたまらなかったのだろう。今でも、会話する時は95~99%位母がしゃべっている。子供時代にはその異常さに気づいていなかったが、家庭内での会話のキャッチボールが成り立っていないせいで、小~高時代の私のコミュニケーション能力はとても低く、毒親に育てられたが故の自己肯定感の低さも相まって、とても無口な子どもだった。頭の中では考えていること・言ってみたいことは沢山あったのだけれど。

父親も無口だけれど、元々口下手なほうなので、毒母が沢山喋り続けている合間にたまーに相槌をうったり、短いコメントをするくらいで、不満は無いようだ。

今や10年以上、物理的にもかなりの距離があるので近年ではごくまれにしか毒母と話す機会が無いが、普段は周囲の人との会話のキャッチボールが成立しているせいで、たまに毒母と話すと会話のキャッチボールの成り立たなさにびっくりする。

あくまでも例だけれど、「最近xxという事があって、△△だなぁ…って思ったんだよね~…」といったとすると、毒母が「そうそう、そういうことってあるわよ、私なんてこないだ□□ということがあって…」といつのまにか彼女自身の話、彼女がネットかTVか人づてに知った話、それらについての自論を展開しはじめてしまい、「私に最近xxという事があって、それについて私が△△だなぁ…って思ったこと」には一切のコメントが無いのだ…。どんな話題であっても一事が万事そう。

毒母は、どんなテーマでも必ず自分の話へ持っていく人なのだ。だから毒母には親しい友達がいないのだろう。

私の物事への感じ方・思考・嗜好・考えなどには興味が無い。毒母以外のあらゆる大人との会話で感じる、「話がふくらんでいく」、「発展していく」、そういった会話の楽しさ・面白味というものが毒母との会話には一切無い。

そもそも子どもの感じ方・思考・嗜好・考えなどに少しでも思いを寄せることができれば、毒親になるはずがなく、これが毒母の毒母たる所以なのだろう。

「自分が話したい」「子どもを思い通りにしたい」…そんな毒母からは、私の気持ちに寄り添ってもらえたことなんて、全然なかった。これも機能不全家族の一例なのかもしれない。

毒親育ちあるある:自己肯定感不足

自己肯定感不足

 

毒親育ちに典型的な「自己肯定感の無さ」、私にも当てはまる。

自己肯定感というのは、能力的な自信、外見の自信、とは異なる、もっと根源的なものだと思う。

言葉には表しにくいけれど、私は以下のような心境の時、「あ、これって私に自己肯定感が無いからなのかなぁ」と思う。

  1. 付き合いの浅い社内の知人に話しかけるのに躊躇する。
  2. 一度だけ短い会話をした事がある人とすれ違った際に挨拶しようと思うけれど、なぜか気後れしてしまう。私に気づかなければいいのにとすら思ってしまう。 
  3. 友達と遊ぶとき、一対一を好む(二人での外出)。3人以上になると、私以外のメンバーで盛り上がってしまうんじゃないか、そして私は寂しい思いをしてしまうんじゃないかと思う。
  4. 日常で起こったちょっとしたことをすごく面白く話す人におどろく。私が、「きっと私がこんなこと話してもつまらないと思われそうかな」というような些細なことを。
  5. 大人数での会話の途中で、何かちょっと思いついた言いたいことがあっても、重要じゃないかもしれないし、まぁいっか…と思ってしまい発言の機会を逃してしまう。が、他の人が私の思っていた事と同じ内容をさも得意そうに話すと、よくそんな自信たっぷりに発言できるな…とびっくりする。

「わけもなく」「なんとなく」「なぜか」私自身や私の考えに興味・関心を持ってもらえないのではないか…というこの理由なき不安が、自己肯定感の無さの正体なのではないだろうか。

自己肯定感というのは、小さい頃に「可愛い、可愛い」とちゃんと言葉に表して可愛がられたり、ハグしてもらったり、お喋りに耳を傾けてもらったり(我が家は母:父・私・弟の会話量が20:1くらい、毒母が勝手に喋りすぎ、会話のキャッチボールが成り立っていない)ちょっと出来ない事があっても、愛されていると実感しないと育たないのではないだろうか。学力を着けても、お洒落や整形で外見をレベルアップしたとしても、自己肯定感というのは、そうそう増えるものではなく、小さい頃にどう扱われたかで大方決まってしまうもののような気がする。上記4、5で発言するタイプの人は、子どもの時から沢山お喋りして、ノリの良いリアクションを親から貰えてたのだろうと推測する。人を惹きつける会話というのは「話す内容より話し方」と言われているようだが(最近そんな内容の本が出てなかったっけ?)、堂々とした喋り方というものは、幼少時にたわいもないお喋りにも耳を傾けてもらってついた自信に拠るところが多いように思う。

毒母の子育て

 

教育に金をかけた毒親に私に対する愛が無かったとは思わないが、「私自身が」「子どもとして」愛情を実感できる子育ては全くできていなかった。私は毒母から「りかこちゃんは赤ちゃんの時本当に可愛くって仕方なかったわ」などということは一度たりともきいたことが無い。ギャン泣きして大変だった、とか、子育てが大変だったことは何回も聞かされたけれども。でも、乳幼児って誰でもギャン泣きしたり病気になったりするもんじゃないの?乳児の時よく泣いたにしても、物心ついてからは、大人しい子どもだったから(むしろ運動が嫌いで動かない、本と工作が好きだった…)、あちこち駆け回ったり物を破壊したりするヤンチャ坊主の母親のような苦労はしてないはずだ。私と同世代の友人達は、Facebookやインスタに子どもの写真をUPして、「可愛すぎ」「愛おしくって」「すぐ大きくなっちゃうのが寂しい」などコメントしているのだが、そんな彼女らと毒母を比較してみると、やはりうちの毒母は子どものありのままを受け入れて愛する能力が欠如していて、子どもを自分の思い通りにしたいという欲ばかりが勝っていたのではないかと思う。

不平等感とやりきれなさ

 

すごく小さい頃のことは記憶に無いからいいとして、物心ついてからは、いつも周りの子どもと自分自身の能力の違いと受ける扱いの違いが比例していないことに気づいていた。

お母さんが厳しくって怖いのは、私出来ない子だからかな?と思って、他の子が自分と比べてどれくらいの能力があるかそれとなく同級生に探りをいれてた。(今ピアノはツェルニーの何番弾いてるの?毎日平均何分ピアノ練習しているの?公文やってる?塾とか行ってる?と質問したり、席の近くの同級生のテストの点数をこっそりのぞき見たり)

他の子はどれくらい自由があるのかもそれとなくヒアリングしていた。(どんなアニメ見てるの?漫画とか買ってもらえるの?スーファミやゲームボーイ持ってる?映画とか見に行くの?)

そうして色々ヒアリングしてみた結果…

私は〇〇ちゃんより、難しいピアノの曲を弾いているし、公文も自分の学年より進んでいるのをやっているし、学校のテストの点数だっていつも平均点より良いのに、なぜ、私より色々できないはずの〇〇ちゃんのお母さんの方が優しくって、色々買ってもらえてて、好きなTV番組も見られて、いつも楽しそうで、それに比べて私は何故、毎日こんなに頑張っているのに、欲しいものは何にも買ってもらえなくって、もっともっと頑張るように言われるんだろう?なんで私の人生は毎日辛いんだろう…。いいなぁ、私のお母さんと〇〇ちゃんのお母さん、交換したいなぁ。でもそんな事不可能だし、早く大人になって自由になりたいなぁ。そんな風に思う毎日だった。

すごく頑張っているのに報われない・可愛がられない自分これほど寂しくって、虚しくって、自己肯定感を失わせるものはないだろう。

ここ最近も、友達が愛おしそうに子どもの写真をアップするたびに、「こんな楽しそうな幸せそうな子ども時代、いいなぁ」と思ってしまう。だが私も子育てしたい、という気持ちは全っ然起こらないのだ…(笑)

くすぶり続ける、可愛がられたい気持ち

 

「私を」もっと、もっと、可愛がって欲しい!「私が」可愛がられる対象でありたい!子ども時代に毒親からは与えられなかった、優しいまなざし、楽しい会話、私を安心させてくれるスキンシップを、夫から無限に享受したい。家の中では私がいつも一番でありたい!

姪っ子や友人の子どもと遊ぶのが上手で懐かれている夫を見るたび、もしうちに子どもなんていたら、私が一番ではなくなってしまう…夫を取られてしまう…という恐れ・確信が強まる。家の中でさえもいつも私の近くにいたがってくれて、私の些細な話にも耳を傾けてくれて、毎日ハグもキスも沢山してくれる夫のおかげで、やっと私自身まるごとが大事にされて可愛がられている実感があるが、これが一生続いて欲しいと強く願っているし、一生かかってようやく、私の中の寂しい子どもの心(いわゆるインナーチャイルド?)が癒えていくのだと思う。

 

 

強迫神経症

強迫神経症 - 恐ろしい想像が頭から離れない

 

京都大学に入学、通学し始めた頃、昼夜問わず恐ろしい観念に支配されるようになってしまった。

何とか浪人することなく後期試験で京大に現役合格できて、これから大学生活をエンジョイしようという時に、惨たらしい恐ろしい考が頭から離れなくなってしまったのだ。何故そのような恐ろしい想像をしてしまうのか、自分でも訳がわからなかった。

 

具体的には、

何かの拍子に電車のホームから線路に落ちて、電車に轢かれてしまうのではないかという恐怖。

高い所から落ちて、大怪我をして全身不随になってしまうのではという恐怖。

尖った先端や何かの破片が目に飛んできて失明してしまうのではという恐怖。

 

何故、こんな恐ろしい考えが私の頭を支配し、他の事を考えて気を紛らわせようとしても頭から離れないのかわからなかった。

電車に轢かれたら多分死ぬけれど(しかし轢かれる瞬間はまだ生きているわけだしとても痛いだろう)、二つ目と三つ目は、生きながらにして苦しむということである。そんな考えが頭から離れないのは、まるで本当にこれから起こってしまうことの予兆なのではないかとさえ思えて本当に恐ろしく辛かった。

 

何とかしたいと思い、図書館やネットなどで「不快な恐ろしい考えが頭から離れない」症状を調べてみると、どうやら強迫神経症らしいということがわかった。(今では強迫性障害と呼ばれるようだ)

毒親には話せなかった。毒母は、宗教的な事を異様に信じるたちで、何か悪いことがあると、祈願すればきっと良くなるはずよ、と言うに決まっているだろうからだ。

毒母は、何事も祈願すれば状況が良くなると信じ、私の心の問題には向き合ってはくれないとわかりきっていた。そもそも、子供の心について少しでも考えられるならば、毒親にはならないのだが…。祈りにすがり、物事の本質を見ようとしない、子供の心に向き合おうとしない、そのような毒母の姿勢を、私は今でも寂しく、悲しく感じている。

 

恐ろしい考えが頭から離れないのを何とかしたいと思った私は、大学のカウンセリングセンターを利用してみた。

初回のカウンセリングでは、カウンセラーに誘導されて、自分の生い立ちについて色々語ったように思う。

その時点では、特に有効な解決策は提示されず、あまり記憶にはないが、「りかこさんの親御さんはとても厳しかったんですね」と手短なコメントを貰い、「またそのような恐ろしい考えに襲われたら、空を見てあぁ今雲が流れているなぁと気分をそらしてみましょう」とかそんな提案をしてくれた程度だった気がする。

そして、その場で二回目のカウンセリングの予約をしたのだった。

 

あっけない解決

 

 

 

二回目のカウンセリングまで1-2週間の間があったと思うのだが、2回目のカウンセリングの前に、私の強迫神経症は治ってしまった。

私の強迫神経症が治ったきっかけは、なんとも陳腐なことだが、男だった…(笑)

学部のクラス飲みで仲良くなった男の子がしょっちゅう電話をくれたりデートに誘ってくれるようになり、その人とのお喋りが楽しく外見的にも好みだったため、私はその人のことばかり考えるようになってしまった。

その人への思いで頭がいっぱいになってしまい、私を強迫神経症にさせていた恐ろしい考え、(自分が轢断体・全身不随になってしまうのではないか、失明してしまうのではないかという恐怖)はすっかり頭の外に追いやられてしまったのだった。

小学校から高校までずっと女子校で、塾でも男の子と話すことなんてほとんど無かったので、男の子と連絡を取り合ったりデートするだけでもとても刺激的でドキドキすることだったのだ。

残念ながらその男は遊び人だったので、1-2か月で興味が他の女の子に移ってしまい、その後しばらく失恋気分で辛かったけれど、それはまた別の話。

 

なぜ京大入学直後に強迫神経症になってしまったのか – 私の推測

 

 

大学に入学するまで、何から何まで一切の自由が無かった私。

TV禁止、お小遣い無し、服も靴も自分が好きなものは買ってもらえない(土日は学校の制靴と祖母が送ってきた160cm用子供服を着用、ごくまれに母親がスーパーの2階で買ってくる激安の服)、友達と遊びに行くのも禁止。

大学に入学した途端、これからは(完全にではないにせよ)あらゆる事が幾分自由になるんだ、という事を、頭では理解していても、精神が現実のものとして認識できなかったのが、強迫神経症の原因では無いだろうか。

それまでの人生で、自分のやりたい事を何もさせてもらえない…という状況を強いられてきた私の精神は、さてこれから色んな事が自由になるぞ、という事実に適応できずパニックを起こしてしまったのだろうと思う。

何事も自分の思い通りにならないことに慣れきっていた私の心は、「これまで自由が無かったのに、これからは色んな事が自由になるなんて、あり得ない!」と無意識下でエラーを起こしてしまい、不自由な状態に後戻りしてしまうのではないか(失明や全身不随=つまり原因が親→身体になっただけで行動が不自由になるのは変わらない)…という恐ろしい妄想を生み出してしまったのだろう。

この推測は過去を俯瞰して捉えられる現在だからできるものの、当時は何故そのような妄想に取りつかれるのか見当もつかず、本当にそのような事が起こってしまう予兆なのではと考えてしまい、本当に恐ろしかった。

 

毒親の家からの脱出方法  10年以上前の私のやり方

最小限の資金で何とかしよう!

 

毒親からいかに逃れるか…ということを日々模索している毒親育ちの方々もいると思う。過干渉型毒親家庭でお育ちの方々は、アルバイトが制限されていたり、お金の使い道を逐一監視されたりして、自立資金を貯めるだけでもかなり大変なのではないだろうか。

毒親から離れて暮らし始めるには思い切りと金銭的な計画性が必要だ。一旦家を出た後で、お金に困って毒親に頭を下げて金銭的な援助を願い出ることなど、自分自身の尊厳のためにも、あってはならないからだ。

西成の安ホテル

 私が毒親の家から出たのは10年以上前、2006年頃の事だから、まだネットカフェ難民という言葉も出来ていなかった。大学卒業後すぐに家出をし、ネットカフェで夜明かししたこともあったが、当時はフラットブースが少なかった。リクライニングチェアで夜を明かしたこともあったが、疲れが取れなかった。ちゃんと分煙されていないネットカフェもあって、禁煙席でも服が煙草臭くなるのも耐え難かった。

そこで私が利用したのが大阪市西成区のビジネスホテルだ。

西成区というと治安が悪いイメージがあるが、JR新今宮駅・御堂筋線動物園前から徒歩一分・警察署も近いホテルで、一泊2000円~2500円でも女性専用フロア・禁煙フロアがあるホテルがいくつかある。

6万円~7.5万円/月で暮らすことができ敷金・礼金・保証金・水道光熱費・ネット代は一切かからず(ホテル館内にWiFiと無料で使えるPC有)、とても経済的だった。

後述するが私は当時海外逃亡を計画していて、それを察知した親にパスポートを没収されたので、警察に紛失届を出し(もちろんただ没収されただけなのは内緒)、連泊していた西成のホテルに住民票を移し、そこで新たにパスポートを申請、新しいパスポートをゲットした。家出前に実家の住所で新しいパスポートを申請したら、受領票を没収されてしまったからだ。

家出後、最初の数か月

 最初に始める仕事は、派遣の事務、できれば短期が良いと思う(あくまで私の意見であり、私は何か月か後に海外逃亡を企てていたのであえて短期の仕事を選んでいた、というのもある)。家出後すぐに正社員の仕事を求めていきなり本格的に就活して運よく仕事が決まったとしても、毒親によりメンタルが弱っているところなので、心が折れることがあると心身ともにダメになってしまう恐れがあるし、早く働かなきゃ…という焦りで、自分の適性もわからないうちに、向いていない仕事に応募してしまう可能性もある。

PC入力だけとか、受電業務ならば、短期のオファーが派遣enやリクルート派遣などのサイトに色々と掲載されている。

短期契約の仕事ならば、職場に嫌な人がいたとしても数か月の我慢で済むし、事務ならば接客業よりは変な人に対応しなければいけない確率も低い。作業系は体力的にキツそうだしヤンキーが多そうなイメージ。

通常のお仕事だと、給料は翌月払いなので、最初の月はやはり少し大変だ。

生活資金がどうしても足りない時は、キャバクラの体験入店(体験だけの1回こっきりで、入店するつもりはハナから無し)で日払いで稼いだり、数歳鯖を読んで携帯の掲示板で知り合ったマニアの人にパンティなどを売ったりして凌いでいた。風俗的な事はしたくなかったのであくまでも私物を売る感覚で出来る「下着買います」オファーを選び、一人の人に対しては、ほぼ一回きりでリピはなるべく避けた。就活で使った黒い靴や、ストッキングを売ったこともあった。

そして海外へ

 ある程度お金が貯まったところで、私は海外に逃げた。そして、その数年前に知り合った外国人の彼と同棲しに行った。

今にして考えると、2008年まで付き合ったこの元彼は、色々と問題を抱えていた人ではあったのだが、少なくとも私に対して誠実ではあったし、彼との生活は幾分かの解毒効果があったと思うし、彼との同棲がなければ某国某都市Xでの就職は叶わなかったであろうし、某都市X在住時の知り合いを通じて数年後に知り合うこととなる現夫との出会いも無かったのである。

よって、京大卒なのに新卒就職も大学院進学もせず、派遣社員(&時々下着売りとキャバ体験入店)をしていた過去も、私にとっては意義のあることだった。

京大卒なのに新卒で大企業に就職しなかった事を今でも日本人の知り合いには非常に不思議がられるが、解毒もされぬうちに日本の企業(大企業でもブラックの多いこと、多いこと…)で新卒で働いていたら、メンタルがボロボロにやられてしまっていたに違いない。もちろん毒親は、就活しろとうるさかったからいくつか大企業の面接は受けに行ったし、全ての企業に落ちた後には院試も受けさせられたが、元々海外に逃げる気でいたので、面接も院試もやる気ゼロで全て落ちた(笑)。

それで親は半狂乱で常に私に対して怒っていた状態だったので、家庭内での私の立場は針のむしろ状態だったが、私は「もうこんな家なんてどうでもいいや」と大学4年生の時は逃亡計画ばかり考えていた。

成人後・または大学卒業後は、一日でも早く逃げるべし

 保証金・敷金・礼金等の一人暮らし資金が貯まるまで毒親と共に家に居続けるよりは一日でも早く逃げて、例え安ホテルででも一人の生活を確立させて精神の安定を得、半年後位にお金が貯まったら改めて普通のアパートに引っ越す方が、絶対に良い。仕事面・金銭面からは、大阪が一番オススメ。

東京も仕事は多いが、2000円~2500円で泊まれるホテルは無いし、見知らぬ家出人を家に泊めさせてくれる人にろくな人などいやしない。

大阪ならば、東京に次いで仕事が豊富、どーーーーしてもお金に困ったときのみキャバ体験入店でもして日銭を稼ぎつつ、通常の社会から離れてしまわないよう、メンタル的にも体力的にも比較的楽にできる短期の派遣事務仕事などをいくつか続けてみると良いと思う。(使用済み下着売りは違法なのでやめましょう笑)

毒親からの逃亡は非常にサバイバル的で、精神的なエネルギッシュさが必要とされ、若いからこそできる事だと思うので、出来れば早めに20代のうちに脱出するのが望ましい。

そして、できれば30歳前にワーキングホリデー制度などを利用して海外に行き(私はワーホリはしてないけど)、そのまま海外で職を得て暮らすのが毒親との物理的距離も大きくなり精神衛生的には一番良いだろう。

日本で暮らし続けたい人は、一人暮らし効果でほんの少しでも解毒されてメンタルがちょっぴり元気になり、毒親が職場に連絡してきたりという暴挙に出ないことが確実になってから、定職を探すのが良いと思う。

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教育虐待の爪痕

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教育虐待で本当に辛い事とは

最近ネット上の記事で見かける、教育虐待という言葉。

うん、私の家庭も教育虐待は行われていたよね。

塾に通わされること自体が苦痛なのではなく、辛いのは塾でも良い成績を取らないと罵倒されたこと。学校の成績は良かったけれど(それについては大して褒めてもらえず)、熾烈な中学受験を勝ち抜いてきた関西私立御三家の生徒がウヨウヨいるT会(東大京大受験塾)で良いクラスに上がるのは簡単なことではない。

罵倒されるだけならともかく、もっと辛いのは、自由が制限されていて、気晴らしの手段がほとんど無かったこと。

 

教育虐待によってグレてしまった人達の記事は、中学受験失敗、高校受験失敗した人達の話が中心なので、我が家のように母親の見栄で小中高エスカレーター式⇒教育資金が尽きて私大に通わせられないので国公立以外ダメと言われ猛勉強させられる、というタイプの話は聞いたことがないのでうちが特殊なのだろう。

しかしここで強調しておきたいのは、受験に失敗しなくとも、有名大学に無事合格しても教育虐待を受けた子供には心の傷が残るということだ

私は、親から可愛がられた、甘えさせてもらった、という実感が全くない。教育に金を出してもらった、ということは感謝しなければいけない事なのだろうが、親は私の好きな物・好きな事には興味・理解が微塵も無いのだった。私自身を見てくれているという実感が全く無かったし、あらゆる自由を制限されていたため私個人が尊重されているという実感も無かった

教育虐待によって今も残る心の傷の例を挙げたいと思う。

 

教育に関する全ての話をシャットアウトしたい

 

私の勤務先で、日本から駐在で当地に来ている人達が、「りかこさん京大卒だって、すごくないですか!?」と社内の他の日本人達に広めるのも勘弁して欲しいし(以前Facebookのプロフに記載していたのを同僚の一人に閲覧されてから一気に社内に噂が広まったが、現地採用の平社員なので逆に恥ずかしい)、

子持ちの人達が子供の学校や教育について話しているのが耳に入るだけでも複雑な気持ちになり、早く別の話題にならないかな、と思ってしまう。

複雑な気持ち…というのは、彼らが、私の親とは違って、子供の実力に合わせて、精神的なゆとりを失わないような教育を考えてあげていることが伝わってくるからで、あぁうちの両親もこんなだったらどんなにか良かっただろう…という思いがチラっと頭をかすめてしまうからだ。

こんな私が子供を持ったら、育てていくにつれて子供時代の辛い出来事がフラッシュバックするようになり、気が狂ってしまうだろう。

 

自分自身が生きられなかった「子供らしい子供時代」を謳歌する子供達に無意識に嫉妬を感じてしまう

 

呑気にはしゃいでいる子供達に対する嫉妬心が私を子供嫌いにさせていて、子供の多い場所にはあまり近寄りたくない。単にはしゃいでいるだけなのに、彼らの親達は何でそんなに幸せそうな笑顔で子供達を見つめているのだろう…。私の親が喜ぶのは私が塾や学校で良い成績を取った時だけだったのに。

 

自由を侵害されることに過度に敏感になる

 

親の支配下にいた時代には散々自由を制限されていたので、今ある自由な環境が非常に理想的で有難みをかみしめながら満喫しており、子供を持つことによってこの自由が無くなるのは勘弁という気持ちもあり、仮に子供がいたとしても、自分自身を優先するあまり極度な放任に走ってしまいそうで、子供を持つことは私にとってやはり現実的ではない。

 

教育虐待の代償 - 孫は諦めてね!

 

子供に教育虐待をする親は、いわゆる(親の考える)「良いレール」に子供を乗せたくて過度な教育をしてしまうのだろう。

その(親の考える)「良いレール」は良い大学、良い会社、良い結婚、子孫繁栄…と続く予定なのだろうが、幸せな子供時代を送っていない人は、運良く良い大学、良い会社または良い結婚…まで行きつけたとしても、その先の段階である、子供を持つという事を躊躇、どころか拒絶してしまうこともあるのでは無いだろうか。

私の周りを見ると、幼少期に貧乏だった人、片親の人、両親が離婚している人、つまり一般的には多少苦労ある子供時代を送ったであろうことが想像されるケースであっても、教育虐待を受けず(もちろん通常の虐待も受けず)に育った人達は、やはり自然に子供が欲しくなるようだ。そして実際に子供を授かり、たまには大変なこともありながらも幸せそうに子育てをしている。

教育虐待により、そうした普通の人間が持ちうる自然な欲求を持てなくなってしまうことは多いにあり得るのだ。

 

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反動?30代にしてPSVitaを購入

昨年のことだが、30代半ばにもなってPlaystation Vitaを買ってしまった。ポーチも保護用シリコンカバーもピンクで揃えて可愛く♡

通勤中や夜寝る前にちょっとプレイする位なので、一つのソフトを終えるのに数か月~半年かかるのだけど、自分の好きな時にゲームを出来る自由があるという、その事自体が嬉しいのだ。

小中学生の頃、大人になったら絶対にTVゲームするぞ…!と思っていたのが実現した形だ。大学生の時にバイトして貯めたお金でPS2を買ったのだけれど、大学の通学に4時間もかかっていたので余りプレイできていなかった。

子供の頃にゲームを全くしていないせいか、格闘系やRPG系といった普通のゲームだとすぐに負けて飽きてしまうので、以前から興味のあった女性向け恋愛系アドベンチャーゲーム、選択肢を選んでいくだけの所謂「紙芝居ゲー」をプレイしている。

数年前に友達がNintendo DSを数か月ほど貸してくれて、スーパーマリオをプレイしてみたのだけれど、すぐにゲームオーバーになってしまうので、何回かプレイして飽きてしまった。

一方で子供の頃にファミコンを持っていた夫はあれよあれよという間に難しそうな面もクリアしていく。幼少時に戻って、子供の頃の夫と一緒にマリオをプレイしてみたかったなぁ、と思った。

アドベンチャーゲームは、音声と絵柄で物語が進んでいくので、中高生時、禁止されていたTVの代わりに一番の娯楽としていたラジオドラマ、更に遡るなら、幼少時に聴いていた絵本付のお話のカセットテープ(今は無き東京こどもクラブ…)にも通じるところがあると思う。

最近は年のせいか(まだ30代なのに…)、長いTVドラマや映画だと集中力が続かない事もあるので、自分のペースで話を進めてセーブできるアドベンチャーゲームが良い娯楽になっている。

一人暮らしを許されず毎日4時間を通学に費やした日々

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一人暮らしに大反対の毒親

無事京大に合格したのだが、卒業するまでの4年間、片道約2時間の通学を余儀なくされた。

毒親が「女の子の一人暮らしは絶対反対」だったからだ。京大は女子寮があるのだけれど、それもダメ。「家から通えるんだから通いなさい」と。

入学前は、そのうち許可して貰えるだろう…と思っていたけれど、結局無理だった。

それでも大学入学以降は勉強しろとは言われなくなったし、バイトで稼いだお金で好きなものを買えるようになったし、TV禁止も解けたので、それまで私を苦しめていたストレスは大分減った。

大学生らしい生活への憧れ

京大の文系学部は単位が取りやすいので、通学時間のせいで勉学に支障が出ることはなかったけれど、それでも大学生らしい生活は他の人より大分制限されてしまった。大学の近くに家があったら、バイト後にまた大学の学食に戻ってダベったり、大学の友達と遊んだりできるのだろうけれど、私の場合はバイト先が家への帰路にあったので(京大周辺は家庭教師が飽和状態なので、そこから離れた方が仕事があった)、バイトがある日は必然的に早めに大学を出ることになる。

外泊は禁止されていたため、クラス飲みなどがある日も自宅最寄り駅に着く電車の終電に間に合わないといけないので、22時台のうちに河原町からの電車に乗らなければならない。一番盛り上がってくる時間に帰らなければならなかったのだ。

居酒屋での飲みの後に誰かのうちやカラオケで二次会をした…という後日談を聞くと、「私も行きたかったなぁ」と羨ましかった。

友達のうちに泊まり込んでガールズトークに花を咲かせたりしたかった。

徹夜で麻雀とか、夜通しカラオケとかも一度はやってみたかった。

毒親の過干渉っぷり

毒母は「結婚は絶対お見合い」派で男女交際を快く思わない人なので、男の子に土日の外出に誘われても、大学生にも関わらず本当の事を言ったらガミガミ言われそうで、女友達と遊びに行くという嘘をよくついていた。

ある時、医学部の人に車デートに誘われたので「Eちゃん(他大に通う高校時代の友人)と遊びに行ってくる」と嘘を言って外出準備をしていたところ怪しまれ、毒母は「本当にEちゃんと遊びに行くのか確かめてからじゃないと」と高校の時の名簿からEちゃんの自宅の電話番号を調べて本当に電話してしまい、嘘だということがバレてしまった。結局、それでも医学部の人(バイトで塾の講師をしていて私のクラスを担当していたこともあったので毒母も知っていた)だったので、デートに行くのはOKしてくれて行ってきたのだが、Eちゃんとはそれ以降結局疎遠になってしまった。ちなみにこの医学部の人と外出したのはこの一回きり。タイプではなかったので特に残念とは思わなかったけれど、この人に限らず男の子と一回だけ外出してそれっきり誘われない…というのは時々あった(大学生あるある!?)。

同じ学部の男子数人ともう一人の女子で大学近くにあるN君のアパートで家飲みをした時は、正直に「N君ちで飲み会があるので行ってくる」と言って家を出たら、22時位に毒親がN君の携帯に電話をかけてきた。「うちの娘は今日中に帰宅しないといけないので」と。私の部屋に置いてあった入学時に作成されたクラス名簿(堅苦しいものではなく、趣味や好きな芸能人などを書く欄もあるサイン帳みたいなもの)からN君の携帯番号をわざわざ調べたのだ。N君は少しびっくりしていたようだったが、「まぁこういうのも話のネタにはなるし、面白い経験だよな」などとフォローしてくれた。

うちのような過干渉家庭では、女子友達だけでの温泉旅行、ディズニーランド旅行にそれぞれ1回行ったのと、サークルの合宿に2回行けただけでも御の字か…。

サークルの先輩の車で女子も含めて4人でナガシマスパーランドに行くという企画は、「大学生の車の運転なんて危険」と行かせて貰えなかった。有名な絶叫マシンに乗りたかったのに…。

反動

大学生になってまで他の家庭よりも厳しい行動制限をされたので(周りの話をきいても大学生にもなって私より干渉されていた人はそうそういない)、当然のように反動は後から来た。

大学卒業後自宅を飛び出してから、同棲を3回経験した。いずれも真剣交際だったので、あてつけの行動ではなく必然のなりゆきだったのだけれど、心のどこかで毒親に対して「ザマぁみろ」と思っていた。

「以前は散々理不尽な規則に従わされてきたけど、もう昔とは違ってあんたらの管理は及ばないんだぞ!」というのが近いかもしれない。

3人目の同棲相手が今の夫なのだけれど、毒母の理想としていたお見合いで相手を探したとしても、この夫ほど私と波長が合う人とは巡り合えなかったと思う。

毒親に従うよりも、私が自らの意思でした選択の方が正しい、それは本当に気分が良い事だ。

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