過干渉型毒親家庭で育つということ

スパルタ教育型・過干渉型毒親の支配下から逃れ、自由を手に入れるまで。

毒母が小遣いストップを執行したのでテレクラで知り合ったおじさんにお金を貰った話(前編)

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(※これは前編なのでまだおっさんは登場しません。小遣いストップに至った経緯が中心。)

テレビ禁止で溜まっていたストレス

私が高2の時、弟は小6で中学受験の勉強が本格化する年だった。もちろん、完璧主義の毒母のことだから、弟を日本一の難関校に合格させようとしていた。というわけで、毒母はこの年は私・弟両方にテレビを禁止することにした。それまでも一週間90分のみテレビOK(しかも一日30分以上見てはいけないので実質週4日はテレビ禁止)でキツかったのに、一年間一切テレビが見れないというのは更にキツいことだった。なんでも、弟だけテレビ禁止だと不公平なので、私もテレビ禁止なのだそうだ。テレビ禁止という逆境に加え、「大学は国立しか行かせない、落ちたら何浪でもしろ」と言われていたので高2の春頃から大学受験を常に意識して、クソ難しい東大京大専門受験塾の宿題を頑張ってやっていた。ある日、家族で車で外食かスーパーかどこかに行った帰り、車の中でラジオのチャンネル争いが起こった。家でテレビ禁止なのだから、ラジオくらいは好きなものを聴きたいと思ったのだ。車の中でまで、NHKの教養番組なんてまっぴらごめんだ。私は流行りの曲が聴きたいの!でも、父は超絶堅物真面目人間なので、流行りの音楽が全て下らない騒音にしか聞こえないらしい。頑として、チャンネルを変えさせようとしなかった。

土下座して謝れ、さもなくば小遣いストップ!

うちは、両親が仲の良いタイプの毒親だから、母がダメということに関しては、父は「お母さんの言うことに従いなさい」というし、父がダメということに関しては、母が「お父さんがダメって言うならダメ」という。私にとってちょっと楽しそうなあらゆる物事を両親が協力して禁止してくる家庭だった。この時に起こった、車内ラジオのチャンネル争いの時も、家に着いてから怒っていたのはむしろ母親の方だった。「お父さんが運転してるんだから、ラジオ番組はお父さんが好きなのを聴くべき。車の中で口論したら運転に支障が出て危険でしょう。土下座してあやまりなさい!じゃないとこれから小遣いあげないからね!」と言われた。テレビ禁止ってだけで、十分我慢してるのに、クソ難しい塾の勉強だって頑張っているのに何で車の中でまで好きな番組聞いたらいけないんだよ!と思って土下座を拒否した。言うこときかないなら「小遣いストップ」という、親の権力をふりかざす様に反吐が出そうだった。絶対土下座して謝ってくるだろう、と予想しているに違いない、と思ったらますます毒母の事が憎くなった

何の楽しみもない

小遣いストップになると、当然ながら何も買えない。小遣いは貰ってないけれど、欲しい物があれば買ってもらえるよ、という人もたまにいるみたいだけれど、うちみたいな毒親家庭はそんなに甘くない。服は、祖母が送ってくるダサい子供服の160センチサイズが大量にあるから、気に入らない服ばかりだけれど数が足りないということもない。祖父母から正月に貰ったお年玉の残りも尽きてきた…テレビ見られないのは百歩譲って我慢するにしても、小遣いも無いとなると、本当に詰んでる…漫画や雑誌を買って気晴らししてきていたけれど、お年玉の残りも枯渇してきた…。勉学第一のスパルタ教育家庭だし、校則でもバイト禁止だからバイトなんて問題外だ。そんな時に思いついたのが、テレクラの利用だった。当時は、援助交際などが問題になっていたけれど、私はもちろんおっさんとセックスしたくなかったので、デートするだけで数千円くれそうなおっさんを探そうと考えた。小遣いストップ前の毎月のお小遣いは2000円位だったので、数万も手にする必要は無いと思った。

東大京大専門受験塾T会

 公文→T会へのシフト

どこから噂をききつけたのか、スパルタ教育大好きな毒母はこのT会という塾を知るに至り、私は入塾テストを受けさせられ、中2の冬ごろから入塾することとなってしまった。T会というのは、中学1年の時から東大京大合格を見据えたカリキュラムで学ばせる塾だ。当然、塾生は私立(又は国立大附属)の中高一貫校の生徒ばかり。関西でも有数の難関校の生徒ばかりが在籍している。そんなわけで、いわゆる「お嬢様系」(私は違うケド…世間のイメージね)な女子校の私がいきなり上位のクラスに行けるわけもない。学校では成績上位をキープしているのにも関わらず、この塾では、クラス分けテストの結果、数学はC2(一番下!)、英語はなんとかB2(クラス構成はSA、A1、A2、B1、B2、C1、C2だから下から三番目…)からスタート。英数は中3で高校2年までの範囲を終えてしまうカリキュラムだ。宿題も大変。おかげで公文からは解放されたものの、宿題が大変すぎて、学校の授業中にコッソリ塾の宿題をやっているという始末だった。

母の目的は…

「とにかくいい大学に行かせる」というのが母の目的。今思うと、「将来何をしたいか考えなさい」ということは一度も言われたことがなかったと思う。私は途中までは理系を目指していて、国公立の医学部・歯学部に入れたらいいかな、と思っていた。母的には、国公立の医学部か歯学部ならば東大京大でなくてもOKらしかった。当時、歯学部に行こうかなぁと思っていたのには特に理由がなく、両親の影響を大きく受けていた。つまり、医者や歯科医は儲かるし、他の職業と比べて格が高そう(に見える)というイメージだ。

毒母の勧めで物理を選択してしまった結果

しかし、高2で文系に転向することとなってしまう。というのも、高2で物理を選択したのだが、物理が壊滅的にダメだったのだ…朝早く起きて復習したりしたけれど、学校の教科書レベルの事が理解できなくて、半狂乱になって、涙が出てくる始末。物理を選択したのも母の意向だったんだけれど、それが裏目に出てしまった。私自身は、どちらかというと生物の方が好きな気がしていたのだけれど、母が「生物は二次で点が取りにくいんだって。物理だと二次試験満点も狙えるそうよ。だから生物でなく物理にしなさい」というので学校で物理を選択してしまった。それが間違いだった…。化学もイマイチだったのに、物理が壊滅的じゃぁ理系で医歯薬系に行くのは無理だな、と高2のはじめごろに早々にあきらめてしまった。今思うと、レベルをぐっと落としてでも理系の学部に行っていたら、今いる国(日本の学歴は役に立たない)ではより高給が狙えたのになぁ~とちょっと思う。というか高2の時点で塾の数学がありえないくらい難しくて(二次試験の過去問が宿題!)、そのせいで物理に時間を割けてなかったのもあったのかな、とも思う。T会なんかじゃなく、もっと一般的な塾に通っていれば、物理もなんとかなってたのかも、と思うこともあるのだ…。それより、母の言うことをきかずに生物を選択しておけばよかったのかも。センター試験の生物は割と良い点数だったので。

せめて京大に行くしかない

学校のクラスメイト達と比較して誰よりも自由がなかった。お小遣いだって少なくって(2000円/月)ちょっと口答えしただけで小遣いストップもあった。かといって両親に言えば何か買ってくれるというわけでもなく、服はおばあちゃんが買って送ってきたダサいやつばっかりだった。靴は、私服の時でも学校用のコインシューズ。塾への通学に使っていたリュックも、その辺のスーパーで3000円で買ってもらった黒いやつ。サマンサの鞄を持っている子が羨ましかった。友達と遊びに行くのもほとんど許してもらえなくって…私より遊んでいる子達が、私よりいい大学に行くのを見るなんて辛い、それじゃぁ私の気がおさまらない、だから誰よりも難しい大学に入らなきゃ…そんな風に精神的に追い詰められて、私は京大を受験しようと思った。凡人がガリ勉してようやく京大に入れた。でもね、ガリ勉したかったわけじゃないんだよ…本当は、流行ってたドラマを見たかったし、定期テスト後に友達と遊びに行ったりしたかったし、学校から帰ってきた後お家で趣味で何か作ったりとかしたかったなぁ。でも塾の成績が悪いと怒られるし、テレビはほとんど見られないし、お小遣いが少なすぎてどこかに行ったり買ったりして気晴らしもできないし…。しょうがないから勉強するしかない。ガリ勉にならざるを得なかったのだ。多分、普通のクラスメイト達と同じような環境だったら、京大を目指そうとは思わなかったと思う。もしかしたら、自分のレベルに合った理系の学部に行っていたかもしれないし、別の将来やりたい事を考える時間もあったかもしれない。

毒親家庭に育つと子供を持とうと思わなくなるという話

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子供が欲しくならない

私が20代後半になった頃位から、母は「子供を産み育てるということは、意義のある尊いこと…云々」とメールによく書いてくることになった。彼女は、間違った育て方をしたことに遅まきながら(私が20代後半になってから)気づいたタイプの毒親だ。だから、「子供を産みなさい」と直接的に押し付けてくることはないのだが、本心では、私が子供を持つべきだと考えていることがにじみ出ている文章を送ってくる。「今後少子化で子供がどんどん減って国力が弱まってくる」「子供のいるお友達や知り合いを尊重してあげてね」「子供がいない老人って本当に寂しそうよ」「子供を産み育てることが人間としての自然な姿」「弟に子供ができたら、先々お世話になるかもしれないんだから良くしてあげるのよ」(←弟、まだ結婚すらしてないんですがw)等々…。母には、何度か私は子供を持つことは考えられないと伝えてある。「やっと手に入れた自由を、もう手放したくない。好きな時期に休暇を取ってあちこち旅行したり、夫と二人で夜にふらっと外出したりする、そういう自由が大好きだから」と。

やっと手に入れた自由を逃してなるものか

大学を卒業し、喧嘩の末に家出をしてそのまま一人暮らしをするようになるまでは、私は毒親家庭にいて、周りのどんな子供よりも自由が制限されていた。それが今は、海外にまで逃げ出してきたおかげで、年間有給休暇30日・残業ゼロという理想的な職場環境を手に入れ、のびのびと自分らしい暮らしをエンジョイしている。やっと、私の人生を生きていると実感できている。大学を卒業する22歳位まで何もかも親の言いなりにならざるを得ず、自分の人生なのに親のために生きていたから、23歳位から、本当の私の人生が始まったと言っても良いだろう。つまり、私は自分の人生をまだ10年ほどしか生きていないのだ。抑圧されていた時代の分、自分の気の済むまで自由を謳歌したい、という私に、「子育ての尊さ」など説かれても、意味の無いことだ。子供が産まれると、人生が子供中心になってしまう、とよく聞く。悪いけど、22年間、子供らしい自由を犠牲にして親に従ってきたのだから、これからは自分のためだけに生きたい。子供がいるせいで、旅行の行先・時期の選択肢が狭められたりするなんて我慢できない。妊娠のせいで、美味しいワインやエスプレッソを我慢するなんて考えられない。我慢は子供時代に一生分位したから、もう沢山!

幸い、私の夫は子供が苦手なので、子供を作るか否かで意見の相違が起こるということは無さそうだ。良かった良かった。

 

 

中学受験しないのに中学受験塾の講習に通わされた小学生時代 

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自分の子供の頭の良さを試したい毒母

小学受験の結果、小学校~高校まで一貫の女子高に入った私。当然、中学受験は不要だ。だが、教育熱にうかされた毒母は、「その勉強に意味があるかどうか」なんて考えもせず、とにかく子供に勉強を押し付けておきたい、という考えがあったようだ。私の学校での成績が良かったためか、その頭の良さを試したいという理由で(おそらく)、中学受験塾の公開模試を受けさせたりしたものだ。公開模試って、確か、土曜か日曜にあったはず。子供にとっても貴重な土日を、模試に費やすなんて。しかも、中学受験させる気がないのに、だ。既に公文だってやっていたし、ピアノだって毎日最低一時間はやっていたのに。

N学園・H学園・N研

とはいえ、塾通いは夏季・冬季・春季などの学校が休みの間の講習に限られていたのは幸いだ。塾の先生の授業中のジョークが面白かったりもしたから、塾に行くこと自体はそれほど嫌ではなかったのだけれど、宿題が難しくて嫌だったのを覚えている。特に中学受験の算数には独特の難しさがある。母は、関西地区で有力な二大中学受験塾であるN学園、H学園に興味があったようで、ある時はN、また次の時にはH、という風に気まぐれに通わされた。全国的に有名なN研の冬季講習にも行ったことがあるが、私が公開模試の結果、クラス分けで良いクラスに振り分けられてしまったためか、N研はさほど難しくなく、N学園・H学園の方がハードな塾(=母にとって、子供を通わせがいがある塾)と認識してしまったようだ。それ以降の講習はH学園、N学園に通わされた。

よその子の出来をよく記憶している毒母

塾の公開模試が返却されると、成績優秀者順位表の冊子が同封されている。母はそれをよく読んでいて、いつも上位に載っている子の名前をよく覚えていた。どれくらいよく覚えていたかというと、私が中学3年から(!)東大京大専門受験塾T会に通い始めた時の校内模試の成績上位者の名前を見て、「このxx君やOOちゃんって、H学園の模試でもよく上位に載っていたわね」などと言うのだ。3~4年前の順位表の名前を覚えているなんて…その子達に実際に会ったわけでも、知り合いの子というわけですらないのに…よその子の出来がそんなに気になるんだね。

 

 

 

 

スパルタ教育型毒親家庭の音楽はクラシック限定

家にあるCD・カセット・レコードはクラシックのみ

元ピアノ講師の母と、超堅物真面目人間である父の好む音楽はクラシック。小さい頃、家にあったCD・カセット・レコードで、クラシック以外のものは皆無だった。彼らが若かった時、子供だった頃は、一体どんな音楽を聴いていたのだろう。まさか小中学生の頃からクラシックオンリーとか!?でも、父方はともかく、母方の祖父母がクラシック好きという話は聞いたことがない…一年に一回位しか会わなかったからよく知らないけど。とにかく、当時の流行りの曲のCDが一切無いのはもちろん、昭和シンガーの曲だとか、60年代ロックだとか、ジャズだとか、そういうジャンルのCDすらない。クラシック一辺倒。母親は、乳児の頃からクラシックを聴かせると良い、と信じていたようで、私が産まれてからも常にクラシックを聴かせていたらしい。でも私がクラシック好きに育ったかというと全く、そんなことは無い。今、あえてクラシックを聴くとか全く無いもんな。家族で車で外出する時、父は車の中でも、常にNHKの教養番組(主に語学)かクラシックを聴いていた。家族での食事中のBGMもNHK FMだ。夕食時間の最中には「ベストオブクラシック」が放送されており、両親はそれが好きだった。中高生位になると、さすがにいつもクラシックばかり聴いているのはかったるくなり、J-POPを流す普通のチャンネルに替えると、「そんなガチャガチャした音楽は嫌だな」と父は言う。母は、「お父さんの言う通りにしなさい」と言う。ただ、クラシック以外の音楽には排他的ではあったが、ニュースはOKだったので、どうしてもクラシックがかったるい時には、「社会の事を知る必要があるから」と、ラジオをテレビのチャンネルにチューニングして、TVニュースの音声のみを聴くこともあった。当時うちにあったステレオコンポのラジオでは、TVの12チャンネルまでは音声のみ聴くことができたのだ。

流行りの音楽はラジオでチェック

中学生以降は、クラスメイトの間で話題になっている曲が知りたかったので、NHK FMのミュージックスクエアを聴いていた。金曜日にはJ POPランキングがあって流行りの曲を知るにはもってこいだ。21時からの番組なので、夕食時間にもかぶっていないため、父にうるさく言われることも無い。ミュージックスクエアを聴きながら塾の宿題やら公文やらをやっていた。ラジオで曲を聴いて気になったアーティストが、どんな顔なのか、どんな衣装なのかetc...知りたい時は、塾に行く前または塾帰りに本屋さんで音楽雑誌を立ち読みしたり、CD屋さんでCDジャケットを眺めたりしてチェックした。小遣いが非常に少なかったので、漫画を少し買うだけですぐに無くなり、音楽関連は何も買えなかったのだ。本当は、金曜日に放送されているミュージックステーションをTVで見たかったなぁ。クラスメイトが「今日のMステ、xx(アーティスト名)が出るよ、楽しみ~」などと話しているのを聞いて、TVを自由にみられるお家はいいなぁ、と思っていた。一応、一週間に90分(少なっ)はTVを見る権利があった年もあるのだけれど、見たいアニメやドラマがあったので、どうしてもMステのために枠を確保することはできなかったのだ。

一年に一度のお楽しみ

そんな私が、年に一度は人気アーティストをTVで見られるチャンスがあった。紅白歌合戦である。大晦日の夜だけは、TVを自由に見ても良い、という特別ルール(ありがてぇありがてぇ…)があったのだ。紅白では、ラジオでよく流れていた人気曲と、立ち読みやCD屋で見かけたアーティスト達の顔・体とが合致し、動いていて、歌っている。ちょっとした感動だった。

果てしなき公文との闘い(小学生時代)

 常に数学年先の勉強を先取り

私の学校での成績は、常に上位だった。幼稚園の頃から公文で先取りしてきていたので、学校の教科書が退屈なほど簡単に感じられた。私が通っていた私立小学校は、よっぽど素行が悪かったり成績が悪すぎたりしないかぎりは、高校・大学までエスカレータで行けるので、日々の勉学は、予習・復習をすればそれで十分な筈だった。

だが、毒母はそれだけでは満足できないらしく、公文を引き続きやらせた。母は、公文から届く進度順位表を見て、私と同学年で私より更に難しいレベルをやっている子がいるのを見て、「こんなに先の事まで勉強してる子達がいるなんて!りかこは、まだまだ。」と思っているようだった。私は、公文の無機質なプリントが好きではなかった。時々家に届く進研ゼミのチラシを読んで、そっちの方がテキストがカラフルで楽しそうだなぁと思っていた。付録などもいっぱいついているようだったので、進研ゼミをやっているというクラスメイトを羨ましいなぁと思っていた。

公文で一番辛いのは、間違い直し

公文で何が一番キツいかというと、間違い直しだ。ケアレスミスならすぐ間違いを直してどうにかなるのだが、特に手こずったのが、国語の記述問題の直しだ。直しても直しても、答えが合わない…思考力の限界だ。当時は小学生だったし、自分の学年より何年分も先取りしているのだから、中学生向け記述問題を解く思考力がそこまで発達していないのは当たり前っちゃぁ当たり前だ。間違えた箇所をもう一度やっても答えが合わなかったら(=つまり単純ミスでない時)、何度考えても正しい答えに辿りつくことは困難だから、正答を赤ペンで書いて、よく読んで終わり!とすればいいのに、直しの直し、直しの直しの直し、…とキリがなかった。消しゴムで何度もいっぱい消して、プリントが黒く汚くなる。何回直しても間違っているから腹立たしくって、勢いよく消して、プリントが破れたこともある。算数・数学も、何度も何度もの直しで気が狂いそうだった。公文に通っていない大半の学校のクラスメイトが羨ましかった。

 

 

 

 

小学校お受験

S学社

思えば、母の教育熱は私が幼稚園年中の時から始まっていた。一体、誰からきいたのか、どうやって調べたのかは知らないが、S学社という私立小学校受験のための幼児教室に通わされはじめたのである。祖父母達が母にプレッシャーを与えたということもないし、社宅のママ友と競っていた、というわけでもないと思う。完全に母の判断・決断だ。父は、母の決断に従うのみだ。

ちなみに、3歳の頃からピアノも習わされ(元ピアノ講師の母が直々に教えていた。もちろんスパルタ。)、4歳からバレエ教室にも通っていた。そうそう、公文も4歳から通っていたっけ。ここまで読むと、一体どんなお嬢様なんですか?と思われそうだが、あくまで平凡なサラリーマン家庭である。ちなみに、バレエはおそらくあまりに才能がなかったためか、または小学受験に集中するためかはわからないが一年で辞めている。別にバレエはそんなに興味がなかったので、自分的には特に何も感じなかった。ピアノは年中の時から嫌で、褒められるより怒られることの方が多くてよく泣いていた。今も覚えているが、4~5歳の時、「もしも全部の指の指先を全部怪我したら、ピアノしばらく弾かなくていいかなぁ」なんて考えていた。そんな風にまで子供に感じさせてしまう教え方ってどうなのだ…ピアノ教師として。ヴァイオリンをやりたい、と言ったこともあったけど私の希望は無視された。

S学社は、教えてくれる先生が面白くって、通うの自体は苦ではなかった。でも、家でもS学社の問題集をやらされていた。私は、お絵かきや工作の方が好きだったな。母は子供の頃、お絵かき教室に通わせてもらっていたらしい。私も、お絵かき教室に通いたかったな。

小~大一貫の女子校を受験、そして合格

記憶力は良い方だったので幼児教室での出来も悪くなく、関西圏のどの小学校でも合格圏内に入っていたとは思う。当時、私は幼稚園で意地悪な男の子が苦手だったので、女の子しかいない学校が良いと希望した。そして東京でも名が知れていることもあって、大学までエスカレータ式の女子小学校を受験して合格した。母は後から、「もし、りかこが頭悪くっても、x女子大学にエスカレータで入れるからいいと思って。x女子大学だったらそんなに悪くないし。」などと言っていたが、その数年後に分不相応に大きな一戸建てを買ったので(これまた母の希望!)、私を私大に入れるお金は尽き、大学は国立しかダメ~!と言われることになるのである…。それに、小・中・高とあれだけ勉強漬けにしておいて、x女子大より上のレベルの大学に受からないというのは、私を含めどんな子供でも、あり得ないと思うのだが。