過干渉型毒親家庭で育つということ

スパルタ教育型・過干渉型毒親の支配下から逃れ、自由を手に入れるまで。

一人暮らしを許されず毎日4時間を通学に費やした日々

一人暮らしに大反対の毒親

無事京大に合格したのだが、卒業するまでの4年間、片道約2時間の通学を余儀なくされた。

毒親が「女の子の一人暮らしは絶対反対」だったからだ。京大は女子寮があるのだけれど、それもダメ。「家から通えるんだから通いなさい」と。

入学前は、そのうち許可して貰えるだろう…と思っていたけれど、結局無理だった。

それでも大学入学以降は勉強しろとは言われなくなったし、バイトで稼いだお金で好きなものを買えるようになったし、TV禁止も解けたので、それまで私を苦しめていたストレスは大分減った。

大学生らしい生活への憧れ

京大の文系学部は単位が取りやすいので、通学時間のせいで勉学に支障が出ることはなかったけれど、それでも大学生らしい生活は他の人より大分制限されてしまった。大学の近くに家があったら、バイト後にまた大学の学食に戻ってダベったり、大学の友達と遊んだりできるのだろうけれど、私の場合はバイト先が家への帰路にあったので(京大周辺は家庭教師が飽和状態なので、そこから離れた方が仕事があった)、バイトがある日は必然的に早めに大学を出ることになる。

外泊は禁止されていたため、クラス飲みなどがある日も自宅最寄り駅に着く電車の終電に間に合わないといけないので、22時台のうちに河原町からの電車に乗らなければならない。一番盛り上がってくる時間に帰らなければならなかったのだ。

居酒屋での飲みの後に誰かのうちやカラオケで二次会をした…という後日談を聞くと、「私も行きたかったなぁ」と羨ましかった。

友達のうちに泊まり込んでガールズトークに花を咲かせたりしたかった。

徹夜で麻雀とか、夜通しカラオケとかも一度はやってみたかった。

毒親の過干渉っぷり

毒母は「結婚は絶対お見合い」派で男女交際を快く思わない人なので、男の子に土日の外出に誘われても、大学生にも関わらず本当の事を言ったらガミガミ言われそうで、女友達と遊びに行くという嘘をよくついていた。

ある時、医学部の人に車デートに誘われたので「Eちゃん(他大に通う高校時代の友人)と遊びに行ってくる」と嘘を言って外出準備をしていたところ怪しまれ、毒母は「本当にEちゃんと遊びに行くのか確かめてからじゃないと」と高校の時の名簿からEちゃんの自宅の電話番号を調べて本当に電話してしまい、嘘だということがバレてしまった。結局、それでも医学部の人(バイトで塾の講師をしていて私のクラスを担当していたこともあったので毒母も知っていた)だったので、デートに行くのはOKしてくれて行ってきたのだが、Eちゃんとはそれ以降結局疎遠になってしまった。ちなみにこの医学部の人と外出したのはこの一回きり。タイプではなかったので特に残念とは思わなかったけれど、この人に限らず男の子と一回だけ外出してそれっきり誘われない…というのは時々あった(大学生あるある!?)。

同じ学部の男子数人ともう一人の女子で大学近くにあるN君のアパートで家飲みをした時は、正直に「N君ちで飲み会があるので行ってくる」と言って家を出たら、22時位に毒親がN君の携帯に電話をかけてきた。「うちの娘は今日中に帰宅しないといけないので」と。私の部屋に置いてあった入学時に作成されたクラス名簿(堅苦しいものではなく、趣味や好きな芸能人などを書く欄もあるサイン帳みたいなもの)からN君の携帯番号をわざわざ調べたのだ。N君は少しびっくりしていたようだったが、「まぁこういうのも話のネタにはなるし、面白い経験だよな」などとフォローしてくれた。

うちのような過干渉家庭では、女子友達だけでの温泉旅行、ディズニーランド旅行にそれぞれ1回行ったのと、サークルの合宿に2回行けただけでも御の字か…。

サークルの先輩の車で女子も含めて4人でナガシマスパーランドに行くという企画は、「大学生の車の運転なんて危険」と行かせて貰えなかった。有名な絶叫マシンに乗りたかったのに…。

反動

大学生になってまで他の家庭よりも厳しい行動制限をされたので(周りの話をきいても大学生にもなって私より干渉されていた人はそうそういない)、当然のように反動は後から来た。

大学卒業後自宅を飛び出してから、同棲を3回経験した。いずれも真剣交際だったので、あてつけの行動ではなく必然のなりゆきだったのだけれど、心のどこかで毒親に対して「ザマぁみろ」と思っていた。

「以前は散々理不尽な規則に従わされてきたけど、もう昔とは違ってあんたらの管理は及ばないんだぞ!」というのが近いかもしれない。

3人目の同棲相手が今の夫なのだけれど、毒母の理想としていたお見合いで相手を探したとしても、この夫ほど私と波長が合う人とは巡り合えなかったと思う。

毒親に従うよりも、私が自らの意思でした選択の方が正しい、それは本当に気分が良い事だ。

毒母が小遣いストップを執行したのでテレクラで知り合ったおじさんにお金を貰った話(後編)

伝言ダイヤル

私が高校生だった頃、援助交際の温床といえばテレクラだった。援助交際というとHまでするイメージがあるが、私の場合はデート&上半身下着姿撮影だけだったので現代でいうところのパパ活だ。当時、街中ではパッケージにテレクラのフリーダイヤルが印刷されたポケットティッシュが女性向けによく配られていた。

テレクラには伝言ダイヤルというシステムがあった。直接相手に繋がるのではなく、相手が吹き込んだメッセージを聴けて、気になる人がいればその人にコンタクトを取れるというものだ。

 

私が伝言ダイヤルで知り合い、後に実際何回か会ったのはヒロシさん(仮名)だ。初めて会ったのは、確か土曜日だ。土曜日は二か所塾に通っていて(T会の英語と、K館の数学かセンター生物かセンター地理か何か…?数学はT会のテキストが余りに難しすぎたのでK館に変えた)、その間の3~4時間は塾の自習室で自習するということになっていた。実際は自習せずに本屋や雑貨屋さんをウィンドウショッピングすることもあった。デートしてお小遣いを貰うならこの時間帯だ。塾の最寄り駅の公衆電話から、街で貰ったティッシュの袋に書いてある伝言ダイヤルの番号に掛けた。勉強ばかりさせられて自由が無い状況に嫌気がさしていたので、ヤケクソだった。躊躇は無かった。確かヒロシさんの伝言メッセージ内容は「お小遣いが欲しい高校生の女の子、デートしませんか?連絡してください」みたいな感じだった。デートするだけでお小遣い貰えるなら…と思い、早速連絡を取ってみた。

コレクトコールで連絡

伝言ダイヤルのシステムで、メッセージを吹き込んだ相手と話したければ1を押してください、次の人のメッセージを聴きたい場合は2を押してください、もう一度聴きたい場合は3を押してください…というよう自動アナウンスがあったと思う。1を押してヒロシさんと繋がった。

「今日は、もう他の子とアポがあってね…」と言われたが、私もいつも時間があるわけではなく出来ればその日にお小遣いが欲しかったので、「じゃぁ私も行っていいですか?」と言ってみたところ、「いやいや、僕は良くてもその子が嫌なんじゃないかなぁ笑」と言われ、「でも別の日に会いたいし連絡してよ。」ということで、ヒロシさんの携帯番号をメモった。

携帯に電話する時はコレクトコールを使っていいよ、と言ってくれて、その時に着信者が料金を負担するコレクトコールというシステムを初めて知った。

当時PHSを持っていたが無論親のPHSと自宅に連絡する以外は使えるはずもなく、公衆電話を使うしかないが携帯宛電話料金は高いので、この気遣いは有難かった。

東証一部上場企業勤務のおじさん

初回の待ち合わせ場所は梅田のソニプラ前だった。塾(T会)は当時は西中島南方にあったので、梅田へは好アクセスだ。

ヒロシさんはやや低身長で顔はグッチ祐三に似ていた。(当時はグッチ祐三を知らず後から料理雑誌等に載っていたグッチ氏の写真を見て気づいた。それからというものグッチ氏の写真を見ると女子高生好きなおじさんに見えてしまいビミョーな気分になってしまう…)

危険そうな人には見えなかった。阪急ホテルのロビー併設の喫茶店で自己紹介を兼ねたお茶&雑談をしながら、ちょっと日ごろのストレスを愚痴りたかったのもあって、私の家庭が超スパルタ教育でTV禁止でお小遣いも無しという何一つ自由が無い大変ストレスフルな状態で、絶対に京大に合格しないと駄目で、女子高に通っている…等々正直に話してしまった。学校の名前は言わなかったけど、言い当てられてしまった。というのも、ヒロシさんはそこから数駅先の場所にある大学を卒業していたからだ。

ヒロシさん自身も自分の勤務先名(仮にXYZとする。有名大企業。)と、その購買部門で働いているということ、大学時代はバンド活動にいそしんでいた事などを話してくれた。XYZは、クイズ形式で当てさせられた。「XX系の会社なんだよ、君も知ってるかも、当ててみて」と言われたからだ。XX系の会社「XYZ」はどんな人でも最低一つは持っているであろうある物に約50%の確率でその社名(又は50%の確率でXYZの競合他社名)が印刷されているので、当時高校生の私でも知っていた。帰りに駅構内に入る時、ヒロシさんの定期券にH電鉄京都線「MXX」駅の駅名がチラっと見えて、MXX駅の近くに勤務先(XYZ)があるんだな、と思った。その後就活の時に本当にXYZという会社がMXX駅近くにある事を知り、「やっぱり本当にXYZに勤務してたのか~」と改めて思った。当時40代(多分)でありながら女子高生に金を払ってデート、という違法行為をしておきながら自分の事をあれこれ話してしまうなんて馬鹿正直だが、テレクラ経由で勉学少女に出会うのは珍しかったからつい本当の事を話してしまったのかもしれない。

 撮影&カラオケ

自己紹介&雑談後、取引の話になり、ヒロシさんは「Hの相場知ってる?Hの相場は3万円、処女の場合は5万円」と言っていたが、絶対にHはしたくなかったので、「上半身下着姿の撮影5000円」で手を打つことにした。15年以上昔の事で記憶が曖昧だが、パンツ撮影もされたかもしれない…。いずれにしろ服を自分でまくっているところを撮られただけで、触られたりはしていない。街中で歩いている時、手は繋がれたかもしれない。

写真撮影はカラオケボックス内で行われ、撮影後一応カラオケで歌ったりした。ヒロシさんはノリノリで自分の好きな歌を歌っていた。私もラジオで聴いて気に入ってた歌を歌ってみたが、サビ部分のメロディーを知っているだけで、歌詞をよく知らなかったのと、元々歌が得意ではないので上手く歌えなかった。けれども人生初カラオケだったので、カラオケってこんな感じなんだなぁ、と知れてそれなりに面白かった。

その後、多分2回程会ったと思う。私は自分の連絡先を教えていないので、私がお小遣いが欲しい時にコレクトコールでヒロシさんに連絡するという形だった。期間は1か月半~数か月位は空いていたはずだ。貰ったお金は大事にチマチマ使っていたので、5000円で数か月はもつ。丁度その頃、塾の近くに漫画の貸し出しも行うレンタルCDショップがオープンし、オープン記念クーポンが配布されていたのを沢山貰ったので、安く色々なCDを借りることができ、カセットに録音して何度も聴いた。漫画も安く借りれてラッキーだった。新刊の漫画も少し買えた。これでちょっとした息抜きをすることができた。

2回目に会った時には、梅田のHEP FIVEの観覧車に一緒に乗り(耳を舐められてさすがに内心キモ…と思ったが、我慢した。口にキスしてこなかっただけマシだ。)、その後またカラオケに行った(この時も撮影もあったかも?)。1回目で貰ったお小遣いでレンタルしたCDのブックレットで歌詞を覚え、たまに一人で鼻歌など歌って練習していたので、この時は、「カラオケ、上手くなったんじゃない?練習してきたみたいだね」と言われた。

3回目は、三宮で映画を見た。ストーリーは覚えていないが、ブルース・ウィリス主演だった。映画館を出る頃に吐き気がした。画面酔いをして気分悪くなったのだが(動きの激しいアクション系映画を映画館で見るといつもそうなる)、当時はそうした自分の体質に気づいておらず、胃の調子が悪いのかと思った。ヒロシさんはドラッグストアで胃薬を買ってくれた。

 

こうして知らないおじさんと会ってお金を貰ったけれども、Hもキスもしていないので全く自分が穢れた気はしていないし(その感性がおかしいのかもしれないが…)、むしろ、「ざまぁ見ろ、抑圧された反動でこっそり悪いコトしてやったぜ…」という、どこかせいせいとした気持ちだった。毒母はこの事を知らないが、もし今この件を暴露したらどんな反応をするだろうか。

もう15年以上も前の事だから時効だし、怒りはしないだろう。「そんな事をするまでにこの子を追い詰めてしまっていたのか」と、当時私のあらゆる自由を奪っていた事を、少しは後悔するだろうか…。

 

毒母が小遣いストップを執行したのでテレクラで知り合ったおじさんにお金を貰った話(前編)

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(※これは前編なのでまだおっさんは登場しません。小遣いストップに至った経緯が中心。)

テレビ禁止で溜まっていたストレス

私が高2の時、弟は小6で中学受験の勉強が本格化する年だった。もちろん、完璧主義の毒母のことだから、弟を日本一の難関校に合格させようとしていた。というわけで、毒母はこの年は私・弟両方にテレビを禁止することにした。それまでも一週間90分のみテレビOK(しかも一日30分以上見てはいけないので実質週4日はテレビ禁止)でキツかったのに、一年間一切テレビが見れないというのは更にキツいことだった。なんでも、弟だけテレビ禁止だと不公平なので、私もテレビ禁止なのだそうだ。テレビ禁止という逆境に加え、「大学は国立しか行かせない、落ちたら何浪でもしろ」と言われていたので高2の春頃から大学受験を常に意識して、クソ難しい東大京大専門受験塾の宿題を頑張ってやっていた。ある日、家族で車で外食かスーパーかどこかに行った帰り、車の中でラジオのチャンネル争いが起こった。家でテレビ禁止なのだから、ラジオくらいは好きなものを聴きたいと思ったのだ。車の中でまで、NHKの教養番組なんてまっぴらごめんだ。私は流行りの曲が聴きたいの!でも、父は超絶堅物真面目人間なので、流行りの音楽が全て下らない騒音にしか聞こえないらしい。頑として、チャンネルを変えさせようとしなかった。

土下座して謝れ、さもなくば小遣いストップ!

うちは、両親が仲の良いタイプの毒親だから、母がダメということに関しては、父は「お母さんの言うことに従いなさい」というし、父がダメということに関しては、母が「お父さんがダメって言うならダメ」という。私にとってちょっと楽しそうなあらゆる物事を両親が協力して禁止してくる家庭だった。この時に起こった、車内ラジオのチャンネル争いの時も、家に着いてから怒っていたのはむしろ母親の方だった。「お父さんが運転してるんだから、ラジオ番組はお父さんが好きなのを聴くべき。車の中で口論したら運転に支障が出て危険でしょう。土下座してあやまりなさい!じゃないとこれから小遣いあげないからね!」と言われた。テレビ禁止ってだけで、十分我慢してるのに、クソ難しい塾の勉強だって頑張っているのに何で車の中でまで好きな番組聞いたらいけないんだよ!と思って土下座を拒否した。言うこときかないなら「小遣いストップ」という、親の権力をふりかざす様に反吐が出そうだった。絶対土下座して謝ってくるだろう、と予想しているに違いない、と思ったらますます毒母の事が憎くなった

何の楽しみもない

小遣いストップになると、当然ながら何も買えない。小遣いは貰ってないけれど、欲しい物があれば買ってもらえるよ、という人もたまにいるみたいだけれど、うちみたいな毒親家庭はそんなに甘くない。服は、祖母が送ってくるダサい子供服の160センチサイズが大量にあるから、気に入らない服ばかりだけれど数が足りないということもない。祖父母から正月に貰ったお年玉の残りも尽きてきた…テレビ見られないのは百歩譲って我慢するにしても、小遣いも無いとなると、本当に詰んでる…漫画や雑誌を買って気晴らししてきていたけれど、お年玉の残りも枯渇してきた…。勉学第一のスパルタ教育家庭だし、校則でもバイト禁止だからバイトなんて問題外だ。そんな時に思いついたのが、テレクラの利用だった。当時は、援助交際などが問題になっていたけれど、私はもちろんおっさんとセックスしたくなかったので、デートするだけで数千円くれそうなおっさんを探そうと考えた。小遣いストップ前の毎月のお小遣いは2000円位だったので、数万も手にする必要は無いと思った。

東大京大専門受験塾T会

 公文→T会へのシフト

どこから噂をききつけたのか、スパルタ教育大好きな毒母はこのT会という塾を知るに至り、私は入塾テストを受けさせられ、中2の冬ごろから入塾することとなってしまった。T会というのは、中学1年の時から東大京大合格を見据えたカリキュラムで学ばせる塾だ。当然、塾生は私立(又は国立大附属)の中高一貫校の生徒ばかり。関西でも有数の難関校の生徒ばかりが在籍している。そんなわけで、いわゆる「お嬢様系」(私は違うケド…世間のイメージね)な女子校の私がいきなり上位のクラスに行けるわけもない。学校では成績上位をキープしているのにも関わらず、この塾では、クラス分けテストの結果、数学はC2(一番下!)、英語はなんとかB2(クラス構成はSA、A1、A2、B1、B2、C1、C2だから下から三番目…)からスタート。英数は中3で高校2年までの範囲を終えてしまうカリキュラムだ。宿題も大変。おかげで公文からは解放されたものの、宿題が大変すぎて、学校の授業中にコッソリ塾の宿題をやっているという始末だった。

母の目的は…

「とにかくいい大学に行かせる」というのが母の目的。今思うと、「将来何をしたいか考えなさい」ということは一度も言われたことがなかったと思う。私は途中までは理系を目指していて、国公立の医学部・歯学部に入れたらいいかな、と思っていた。母的には、国公立の医学部か歯学部ならば東大京大でなくてもOKらしかった。当時、歯学部に行こうかなぁと思っていたのには特に理由がなく、両親の影響を大きく受けていた。つまり、医者や歯科医は儲かるし、他の職業と比べて格が高そう(に見える)というイメージだ。

毒母の勧めで物理を選択してしまった結果

しかし、高2で文系に転向することとなってしまう。というのも、高2で物理を選択したのだが、物理が壊滅的にダメだったのだ…朝早く起きて復習したりしたけれど、学校の教科書レベルの事が理解できなくて、半狂乱になって、涙が出てくる始末。物理を選択したのも母の意向だったんだけれど、それが裏目に出てしまった。私自身は、どちらかというと生物の方が好きな気がしていたのだけれど、母が「生物は二次で点が取りにくいんだって。物理だと二次試験満点も狙えるそうよ。だから生物でなく物理にしなさい」というので学校で物理を選択してしまった。それが間違いだった…。化学もイマイチだったのに、物理が壊滅的じゃぁ理系で医歯薬系に行くのは無理だな、と高2のはじめごろに早々にあきらめてしまった。今思うと、レベルをぐっと落としてでも理系の学部に行っていたら、今いる国(日本の学歴は役に立たない)ではより高給が狙えたのになぁ~とちょっと思う。というか高2の時点で塾の数学がありえないくらい難しくて(二次試験の過去問が宿題!)、そのせいで物理に時間を割けてなかったのもあったのかな、とも思う。T会なんかじゃなく、もっと一般的な塾に通っていれば、物理もなんとかなってたのかも、と思うこともあるのだ…。それより、母の言うことをきかずに生物を選択しておけばよかったのかも。センター試験の生物は割と良い点数だったので。

せめて京大に行くしかない

学校のクラスメイト達と比較して誰よりも自由がなかった。お小遣いだって少なくって(2000円/月)ちょっと口答えしただけで小遣いストップもあった。かといって両親に言えば何か買ってくれるというわけでもなく、服はおばあちゃんが買って送ってきたダサいやつばっかりだった。靴は、私服の時でも学校用のコインシューズ。塾への通学に使っていたリュックも、その辺のスーパーで3000円で買ってもらった黒いやつ。サマンサの鞄を持っている子が羨ましかった。友達と遊びに行くのもほとんど許してもらえなくって…私より遊んでいる子達が、私よりいい大学に行くのを見るなんて辛い、それじゃぁ私の気がおさまらない、だから誰よりも難しい大学に入らなきゃ…そんな風に精神的に追い詰められて、私は京大を受験しようと思った。凡人がガリ勉してようやく京大に入れた。でもね、ガリ勉したかったわけじゃないんだよ…本当は、流行ってたドラマを見たかったし、定期テスト後に友達と遊びに行ったりしたかったし、学校から帰ってきた後お家で趣味で何か作ったりとかしたかったなぁ。でも塾の成績が悪いと怒られるし、テレビはほとんど見られないし、お小遣いが少なすぎてどこかに行ったり買ったりして気晴らしもできないし…。しょうがないから勉強するしかない。ガリ勉にならざるを得なかったのだ。多分、普通のクラスメイト達と同じような環境だったら、京大を目指そうとは思わなかったと思う。もしかしたら、自分のレベルに合った理系の学部に行っていたかもしれないし、別の将来やりたい事を考える時間もあったかもしれない。

毒親家庭に育つと子供を持とうと思わなくなるという話

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子供が欲しくならない

私が20代後半になった頃位から、母は「子供を産み育てるということは、意義のある尊いこと…云々」とメールによく書いてくることになった。彼女は、間違った育て方をしたことに遅まきながら(私が20代後半になってから)気づいたタイプの毒親だ。だから、「子供を産みなさい」と直接的に押し付けてくることはないのだが、本心では、私が子供を持つべきだと考えていることがにじみ出ている文章を送ってくる。「今後少子化で子供がどんどん減って国力が弱まってくる」「子供のいるお友達や知り合いを尊重してあげてね」「子供がいない老人って本当に寂しそうよ」「子供を産み育てることが人間としての自然な姿」「弟に子供ができたら、先々お世話になるかもしれないんだから良くしてあげるのよ」(←弟、まだ結婚すらしてないんですがw)等々…。母には、何度か私は子供を持つことは考えられないと伝えてある。「やっと手に入れた自由を、もう手放したくない。好きな時期に休暇を取ってあちこち旅行したり、夫と二人で夜にふらっと外出したりする、そういう自由が大好きだから」と。

やっと手に入れた自由を逃してなるものか

大学を卒業し、喧嘩の末に家出をしてそのまま一人暮らしをするようになるまでは、私は毒親家庭にいて、周りのどんな子供よりも自由が制限されていた。それが今は、海外にまで逃げ出してきたおかげで、年間有給休暇30日・残業ゼロという理想的な職場環境を手に入れ、のびのびと自分らしい暮らしをエンジョイしている。やっと、私の人生を生きていると実感できている。大学を卒業する22歳位まで何もかも親の言いなりにならざるを得ず、自分の人生なのに親のために生きていたから、23歳位から、本当の私の人生が始まったと言っても良いだろう。つまり、私は自分の人生をまだ10年ほどしか生きていないのだ。抑圧されていた時代の分、自分の気の済むまで自由を謳歌したい、という私に、「子育ての尊さ」など説かれても、意味の無いことだ。子供が産まれると、人生が子供中心になってしまう、とよく聞く。悪いけど、22年間、子供らしい自由を犠牲にして親に従ってきたのだから、これからは自分のためだけに生きたい。子供がいるせいで、旅行の行先・時期の選択肢が狭められたりするなんて我慢できない。妊娠のせいで、美味しいワインやエスプレッソを我慢するなんて考えられない。我慢は子供時代に一生分位したから、もう沢山!

幸い、私の夫は子供が苦手なので、子供を作るか否かで意見の相違が起こるということは無さそうだ。良かった良かった。

 

 

中学受験しないのに中学受験塾の講習に通わされた小学生時代 

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自分の子供の頭の良さを試したい毒母

小学受験の結果、小学校~高校まで一貫の女子高に入った私。当然、中学受験は不要だ。だが、教育熱にうかされた毒母は、「その勉強に意味があるかどうか」なんて考えもせず、とにかく子供に勉強を押し付けておきたい、という考えがあったようだ。私の学校での成績が良かったためか、その頭の良さを試したいという理由で(おそらく)、中学受験塾の公開模試を受けさせたりしたものだ。公開模試って、確か、土曜か日曜にあったはず。子供にとっても貴重な土日を、模試に費やすなんて。しかも、中学受験させる気がないのに、だ。既に公文だってやっていたし、ピアノだって毎日最低一時間はやっていたのに。

N学園・H学園・N研

とはいえ、塾通いは夏季・冬季・春季などの学校が休みの間の講習に限られていたのは幸いだ。塾の先生の授業中のジョークが面白かったりもしたから、塾に行くこと自体はそれほど嫌ではなかったのだけれど、宿題が難しくて嫌だったのを覚えている。特に中学受験の算数には独特の難しさがある。母は、関西地区で有力な二大中学受験塾であるN学園、H学園に興味があったようで、ある時はN、また次の時にはH、という風に気まぐれに通わされた。全国的に有名なN研の冬季講習にも行ったことがあるが、私が公開模試の結果、クラス分けで良いクラスに振り分けられてしまったためか、N研はさほど難しくなく、N学園・H学園の方がハードな塾(=母にとって、子供を通わせがいがある塾)と認識してしまったようだ。それ以降の講習はH学園、N学園に通わされた。

よその子の出来をよく記憶している毒母

塾の公開模試が返却されると、成績優秀者順位表の冊子が同封されている。母はそれをよく読んでいて、いつも上位に載っている子の名前をよく覚えていた。どれくらいよく覚えていたかというと、私が中学3年から(!)東大京大専門受験塾T会に通い始めた時の校内模試の成績上位者の名前を見て、「このxx君やOOちゃんって、H学園の模試でもよく上位に載っていたわね」などと言うのだ。3~4年前の順位表の名前を覚えているなんて…その子達に実際に会ったわけでも、知り合いの子というわけですらないのに…よその子の出来がそんなに気になるんだね。

 

 

 

 

スパルタ教育型毒親家庭の音楽はクラシック限定

家にあるCD・カセット・レコードはクラシックのみ

元ピアノ講師の母と、超堅物真面目人間である父の好む音楽はクラシック。小さい頃、家にあったCD・カセット・レコードで、クラシック以外のものは皆無だった。彼らが若かった時、子供だった頃は、一体どんな音楽を聴いていたのだろう。まさか小中学生の頃からクラシックオンリーとか!?でも、父方はともかく、母方の祖父母がクラシック好きという話は聞いたことがない…一年に一回位しか会わなかったからよく知らないけど。とにかく、当時の流行りの曲のCDが一切無いのはもちろん、昭和シンガーの曲だとか、60年代ロックだとか、ジャズだとか、そういうジャンルのCDすらない。クラシック一辺倒。母親は、乳児の頃からクラシックを聴かせると良い、と信じていたようで、私が産まれてからも常にクラシックを聴かせていたらしい。でも私がクラシック好きに育ったかというと全く、そんなことは無い。今、あえてクラシックを聴くとか全く無いもんな。家族で車で外出する時、父は車の中でも、常にNHKの教養番組(主に語学)かクラシックを聴いていた。家族での食事中のBGMもNHK FMだ。夕食時間の最中には「ベストオブクラシック」が放送されており、両親はそれが好きだった。中高生位になると、さすがにいつもクラシックばかり聴いているのはかったるくなり、J-POPを流す普通のチャンネルに替えると、「そんなガチャガチャした音楽は嫌だな」と父は言う。母は、「お父さんの言う通りにしなさい」と言う。ただ、クラシック以外の音楽には排他的ではあったが、ニュースはOKだったので、どうしてもクラシックがかったるい時には、「社会の事を知る必要があるから」と、ラジオをテレビのチャンネルにチューニングして、TVニュースの音声のみを聴くこともあった。当時うちにあったステレオコンポのラジオでは、TVの12チャンネルまでは音声のみ聴くことができたのだ。

流行りの音楽はラジオでチェック

中学生以降は、クラスメイトの間で話題になっている曲が知りたかったので、NHK FMのミュージックスクエアを聴いていた。金曜日にはJ POPランキングがあって流行りの曲を知るにはもってこいだ。21時からの番組なので、夕食時間にもかぶっていないため、父にうるさく言われることも無い。ミュージックスクエアを聴きながら塾の宿題やら公文やらをやっていた。ラジオで曲を聴いて気になったアーティストが、どんな顔なのか、どんな衣装なのかetc...知りたい時は、塾に行く前または塾帰りに本屋さんで音楽雑誌を立ち読みしたり、CD屋さんでCDジャケットを眺めたりしてチェックした。小遣いが非常に少なかったので、漫画を少し買うだけですぐに無くなり、音楽関連は何も買えなかったのだ。本当は、金曜日に放送されているミュージックステーションをTVで見たかったなぁ。クラスメイトが「今日のMステ、xx(アーティスト名)が出るよ、楽しみ~」などと話しているのを聞いて、TVを自由にみられるお家はいいなぁ、と思っていた。一応、一週間に90分(少なっ)はTVを見る権利があった年もあるのだけれど、見たいアニメやドラマがあったので、どうしてもMステのために枠を確保することはできなかったのだ。

一年に一度のお楽しみ

そんな私が、年に一度は人気アーティストをTVで見られるチャンスがあった。紅白歌合戦である。大晦日の夜だけは、TVを自由に見ても良い、という特別ルール(ありがてぇありがてぇ…)があったのだ。紅白では、ラジオでよく流れていた人気曲と、立ち読みやCD屋で見かけたアーティスト達の顔・体とが合致し、動いていて、歌っている。ちょっとした感動だった。