過干渉型毒親家庭で育つということ

スパルタ教育型・過干渉型毒親の支配下から逃れ、自由を手に入れるまで。

果てしなき公文との闘い(小学生時代)

 常に数学年先の勉強を先取り

私の学校での成績は、常に上位だった。幼稚園の頃から公文で先取りしてきていたので、学校の教科書が退屈なほど簡単に感じられた。私が通っていた私立小学校は、よっぽど素行が悪かったり成績が悪すぎたりしないかぎりは、高校・大学までエスカレータで行けるので、日々の勉学は、予習・復習をすればそれで十分な筈だった。

だが、毒母はそれだけでは満足できないらしく、公文を引き続きやらせた。母は、公文から届く進度順位表を見て、私と同学年で私より更に難しいレベルをやっている子がいるのを見て、「こんなに先の事まで勉強してる子達がいるなんて!りかこは、まだまだ。」と思っているようだった。私は、公文の無機質なプリントが好きではなかった。時々家に届く進研ゼミのチラシを読んで、そっちの方がテキストがカラフルで楽しそうだなぁと思っていた。付録などもいっぱいついているようだったので、進研ゼミをやっているというクラスメイトを羨ましいなぁと思っていた。

公文で一番辛いのは、間違い直し

公文で何が一番キツいかというと、間違い直しだ。ケアレスミスならすぐ間違いを直してどうにかなるのだが、特に手こずったのが、国語の記述問題の直しだ。直しても直しても、答えが合わない…思考力の限界だ。当時は小学生だったし、自分の学年より何年分も先取りしているのだから、中学生向け記述問題を解く思考力がそこまで発達していないのは当たり前っちゃぁ当たり前だ。間違えた箇所をもう一度やっても答えが合わなかったら(=つまり単純ミスでない時)、何度考えても正しい答えに辿りつくことは困難だから、正答を赤ペンで書いて、よく読んで終わり!とすればいいのに、直しの直し、直しの直しの直し、…とキリがなかった。消しゴムで何度もいっぱい消して、プリントが黒く汚くなる。何回直しても間違っているから腹立たしくって、勢いよく消して、プリントが破れたこともある。算数・数学も、何度も何度もの直しで気が狂いそうだった。公文に通っていない大半の学校のクラスメイトが羨ましかった。

 

 

 

 

小学校お受験

S学社

思えば、母の教育熱は私が幼稚園年中の時から始まっていた。一体、誰からきいたのか、どうやって調べたのかは知らないが、S学社という私立小学校受験のための幼児教室に通わされはじめたのである。祖父母達が母にプレッシャーを与えたということもないし、社宅のママ友と競っていた、というわけでもないと思う。完全に母の判断・決断だ。父は、母の決断に従うのみだ。

ちなみに、3歳の頃からピアノも習わされ(元ピアノ講師の母が直々に教えていた。もちろんスパルタ。)、4歳からバレエ教室にも通っていた。そうそう、公文も4歳から通っていたっけ。ここまで読むと、一体どんなお嬢様なんですか?と思われそうだが、あくまで平凡なサラリーマン家庭である。ちなみに、バレエはおそらくあまりに才能がなかったためか、または小学受験に集中するためかはわからないが一年で辞めている。別にバレエはそんなに興味がなかったので、自分的には特に何も感じなかった。ピアノは年中の時から嫌で、褒められるより怒られることの方が多くてよく泣いていた。今も覚えているが、4~5歳の時、「もしも全部の指の指先を全部怪我したら、ピアノしばらく弾かなくていいかなぁ」なんて考えていた。そんな風にまで子供に感じさせてしまう教え方ってどうなのだ…ピアノ教師として。ヴァイオリンをやりたい、と言ったこともあったけど私の希望は無視された。

S学社は、教えてくれる先生が面白くって、通うの自体は苦ではなかった。でも、家でもS学社の問題集をやらされていた。私は、お絵かきや工作の方が好きだったな。母は子供の頃、お絵かき教室に通わせてもらっていたらしい。私も、お絵かき教室に通いたかったな。

小~大一貫の女子校を受験、そして合格

記憶力は良い方だったので幼児教室での出来も悪くなく、関西圏のどの小学校でも合格圏内に入っていたとは思う。当時、私は幼稚園で意地悪な男の子が苦手だったので、女の子しかいない学校が良いと希望した。そして東京でも名が知れていることもあって、大学までエスカレータ式の女子小学校を受験して合格した。母は後から、「もし、りかこが頭悪くっても、x女子大学にエスカレータで入れるからいいと思って。x女子大学だったらそんなに悪くないし。」などと言っていたが、その数年後に分不相応に大きな一戸建てを買ったので(これまた母の希望!)、私を私大に入れるお金は尽き、大学は国立しかダメ~!と言われることになるのである…。それに、小・中・高とあれだけ勉強漬けにしておいて、x女子大より上のレベルの大学に受からないというのは、私を含めどんな子供でも、あり得ないと思うのだが。

 

 

 

過干渉型毒親あるある・その① テレビ制限編

テレビ禁止・またはテレビの時間が制限される

過干渉型毒親あるあるが、テレビ禁止や、テレビ視聴時間の制限だ。もちろん、内容にも文句を付けられたりすることもある。

我が家の場合、母親はテレビの視聴時間にうるさく、一方父親は内容にうるさい。

これはどういうことかというと、

母:一週間に90分はTVを見ても良い。但し、一日30分を越えてはいけない。例えば、ドラマを見たければビデオに撮り、30分ずつ区切って別の日に見るべし。見る番組の内容については特に問わず。

父:テレビ時間を制限しなければならない、という信念があるかはわからないが、取り合えず母の教育方針に従う。TV内容にはうるさい。小6位の時に、私が見ていたアニメで、たまたま女キャラが男キャラを誘惑するシーン(とはいえ、日曜日の夕方にやっている程度だし、アニメなので大したことない)があり、たまたま居合わせた父は消せ、と言ってきた。

父自身は、稀に見る真面目人間であり、NHKの各種ドキュメンタリー等をビデオに撮りためていた(母の方針に従い、TVを点けないため)。バラエティやドラマ、音楽番組などは下らないと思っているタイプ。現在でも家に90年代からのビデオの山があるが、相変わらず仕事が多忙なのと、家にいる時は今放送中のドキュメンタリーを見るため、昔のビデオを見る余裕は無さそうだ。ちなみに、両親は、私達と弟高校を卒業するまではほとんどTVを見ていなかったが、最近は時々見ているようだ。

また、私には5歳離れた弟がいて、弟の小学受験、中学受験の年には、TV禁止となった。私が高三の時も、受験の年に、TVなんか見てるんじゃない!ってことでTV禁止になった。つまり、TV禁止の年が3年もあったということだ。

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ブログを書くきっかけ

子供時代!?絶対戻りたくない!辛かった事が沢山で思い出したくないことも沢山…でも、ふとした時に辛い記憶が蘇って、その記憶ばかり数日間頭の中をグルグルしている時がたまにある。そういう時期があるのは、何か月かに一回、一年に何回か位なのだけれど、その期間中は、悲しみが頭の中を占拠してしまい、涙が出てきて辛い。なんで私だけ、こんな思い・経験をしなければならなかったのだろうと。そんな私の気持ち・過去の記憶の吐き出し場としてこのブログを始めることに決めた。

同じような体験で今も苦しんでいる人にも読んでいただけたら嬉しいです。