過干渉型毒親家庭で育つということ

スパルタ教育型・過干渉型毒親の支配下から逃れ、自由を手に入れるまで。

小学校お受験

S学社

思えば、母の教育熱は私が幼稚園年中の時から始まっていた。一体、誰からきいたのか、どうやって調べたのかは知らないが、S学社という私立小学校受験のための幼児教室に通わされはじめたのである。祖父母達が母にプレッシャーを与えたということもないし、社宅のママ友と競っていた、というわけでもないと思う。完全に母の判断・決断だ。父は、母の決断に従うのみだ。

ちなみに、3歳の頃からピアノも習わされ(元ピアノ講師の母が直々に教えていた。もちろんスパルタ。)、4歳からバレエ教室にも通っていた。そうそう、公文も4歳から通っていたっけ。ここまで読むと、一体どんなお嬢様なんですか?と思われそうだが、あくまで平凡なサラリーマン家庭である。ちなみに、バレエはおそらくあまりに才能がなかったためか、または小学受験に集中するためかはわからないが一年で辞めている。別にバレエはそんなに興味がなかったので、自分的には特に何も感じなかった。ピアノは年中の時から嫌で、褒められるより怒られることの方が多くてよく泣いていた。今も覚えているが、4~5歳の時、「もしも全部の指の指先を全部怪我したら、ピアノしばらく弾かなくていいかなぁ」なんて考えていた。そんな風にまで子供に感じさせてしまう教え方ってどうなのだ…ピアノ教師として。ヴァイオリンをやりたい、と言ったこともあったけど私の希望は無視された。

S学社は、教えてくれる先生が面白くって、通うの自体は苦ではなかった。でも、家でもS学社の問題集をやらされていた。私は、お絵かきや工作の方が好きだったな。母は子供の頃、お絵かき教室に通わせてもらっていたらしい。私も、お絵かき教室に通いたかったな。

小~大一貫の女子校を受験、そして合格

記憶力は良い方だったので幼児教室での出来も悪くなく、関西圏のどの小学校でも合格圏内に入っていたとは思う。当時、私は幼稚園で意地悪な男の子が苦手だったので、女の子しかいない学校が良いと希望した。そして東京でも名が知れていることもあって、大学までエスカレータ式の女子小学校を受験して合格した。母は後から、「もし、りかこが頭悪くっても、x女子大学にエスカレータで入れるからいいと思って。x女子大学だったらそんなに悪くないし。」などと言っていたが、その数年後に分不相応に大きな一戸建てを買ったので(これまた母の希望!)、私を私大に入れるお金は尽き、大学は国立しかダメ~!と言われることになるのである…。それに、小・中・高とあれだけ勉強漬けにしておいて、x女子大より上のレベルの大学に受からないというのは、私を含めどんな子供でも、あり得ないと思うのだが。