過干渉型毒親家庭で育つということ

スパルタ教育型・過干渉型毒親の支配下から逃れ、自由を手に入れるまで。

毒親家庭に育つと子供を持とうと思わなくなるという話

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子供が欲しくならない

私が20代後半になった頃位から、母は「子供を産み育てるということは、意義のある尊いこと…云々」とメールによく書いてくることになった。彼女は、間違った育て方をしたことに遅まきながら(私が20代後半になってから)気づいたタイプの毒親だ。だから、「子供を産みなさい」と直接的に押し付けてくることはないのだが、本心では、私が子供を持つべきだと考えていることがにじみ出ている文章を送ってくる。「今後少子化で子供がどんどん減って国力が弱まってくる」「子供のいるお友達や知り合いを尊重してあげてね」「子供がいない老人って本当に寂しそうよ」「子供を産み育てることが人間としての自然な姿」「弟に子供ができたら、先々お世話になるかもしれないんだから良くしてあげるのよ」(←弟、まだ結婚すらしてないんですがw)等々…。母には、何度か私は子供を持つことは考えられないと伝えてある。「やっと手に入れた自由を、もう手放したくない。好きな時期に休暇を取ってあちこち旅行したり、夫と二人で夜にふらっと外出したりする、そういう自由が大好きだから」と。

やっと手に入れた自由を逃してなるものか

大学を卒業し、喧嘩の末に家出をしてそのまま一人暮らしをするようになるまでは、私は毒親家庭にいて、周りのどんな子供よりも自由が制限されていた。それが今は、海外にまで逃げ出してきたおかげで、年間有給休暇30日・残業ゼロという理想的な職場環境を手に入れ、のびのびと自分らしい暮らしをエンジョイしている。やっと、私の人生を生きていると実感できている。大学を卒業する22歳位まで何もかも親の言いなりにならざるを得ず、自分の人生なのに親のために生きていたから、23歳位から、本当の私の人生が始まったと言っても良いだろう。つまり、私は自分の人生をまだ10年ほどしか生きていないのだ。抑圧されていた時代の分、自分の気の済むまで自由を謳歌したい、という私に、「子育ての尊さ」など説かれても、意味の無いことだ。子供が産まれると、人生が子供中心になってしまう、とよく聞く。悪いけど、22年間、子供らしい自由を犠牲にして親に従ってきたのだから、これからは自分のためだけに生きたい。子供がいるせいで、旅行の行先・時期の選択肢が狭められたりするなんて我慢できない。妊娠のせいで、美味しいワインやエスプレッソを我慢するなんて考えられない。我慢は子供時代に一生分位したから、もう沢山!

幸い、私の夫は子供が苦手なので、子供を作るか否かで意見の相違が起こるということは無さそうだ。良かった良かった。