過干渉型毒親家庭で育つということ

スパルタ教育型・過干渉型毒親の支配下から逃れ、自由を手に入れるまで。

一人暮らしを許されず毎日4時間を通学に費やした日々

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一人暮らしに大反対の毒親

無事京大に合格したのだが、卒業するまでの4年間、片道約2時間の通学を余儀なくされた。

毒親が「女の子の一人暮らしは絶対反対」だったからだ。京大は女子寮があるのだけれど、それもダメ。「家から通えるんだから通いなさい」と。

入学前は、そのうち許可して貰えるだろう…と思っていたけれど、結局無理だった。

それでも大学入学以降は勉強しろとは言われなくなったし、バイトで稼いだお金で好きなものを買えるようになったし、TV禁止も解けたので、それまで私を苦しめていたストレスは大分減った。

大学生らしい生活への憧れ

京大の文系学部は単位が取りやすいので、通学時間のせいで勉学に支障が出ることはなかったけれど、それでも大学生らしい生活は他の人より大分制限されてしまった。大学の近くに家があったら、バイト後にまた大学の学食に戻ってダベったり、大学の友達と遊んだりできるのだろうけれど、私の場合はバイト先が家への帰路にあったので(京大周辺は家庭教師が飽和状態なので、そこから離れた方が仕事があった)、バイトがある日は必然的に早めに大学を出ることになる。

外泊は禁止されていたため、クラス飲みなどがある日も自宅最寄り駅に着く電車の終電に間に合わないといけないので、22時台のうちに河原町からの電車に乗らなければならない。一番盛り上がってくる時間に帰らなければならなかったのだ。

居酒屋での飲みの後に誰かのうちやカラオケで二次会をした…という後日談を聞くと、「私も行きたかったなぁ」と羨ましかった。

友達のうちに泊まり込んでガールズトークに花を咲かせたりしたかった。

徹夜で麻雀とか、夜通しカラオケとかも一度はやってみたかった。

毒親の過干渉っぷり

毒母は「結婚は絶対お見合い」派で男女交際を快く思わない人なので、男の子に土日の外出に誘われても、大学生にも関わらず本当の事を言ったらガミガミ言われそうで、女友達と遊びに行くという嘘をよくついていた。

ある時、医学部の人に車デートに誘われたので「Eちゃん(他大に通う高校時代の友人)と遊びに行ってくる」と嘘を言って外出準備をしていたところ怪しまれ、毒母は「本当にEちゃんと遊びに行くのか確かめてからじゃないと」と高校の時の名簿からEちゃんの自宅の電話番号を調べて本当に電話してしまい、嘘だということがバレてしまった。結局、それでも医学部の人(バイトで塾の講師をしていて私のクラスを担当していたこともあったので毒母も知っていた)だったので、デートに行くのはOKしてくれて行ってきたのだが、Eちゃんとはそれ以降結局疎遠になってしまった。ちなみにこの医学部の人と外出したのはこの一回きり。タイプではなかったので特に残念とは思わなかったけれど、この人に限らず男の子と一回だけ外出してそれっきり誘われない…というのは時々あった(大学生あるある!?)。

同じ学部の男子数人ともう一人の女子で大学近くにあるN君のアパートで家飲みをした時は、正直に「N君ちで飲み会があるので行ってくる」と言って家を出たら、22時位に毒親がN君の携帯に電話をかけてきた。「うちの娘は今日中に帰宅しないといけないので」と。私の部屋に置いてあった入学時に作成されたクラス名簿(堅苦しいものではなく、趣味や好きな芸能人などを書く欄もあるサイン帳みたいなもの)からN君の携帯番号をわざわざ調べたのだ。N君は少しびっくりしていたようだったが、「まぁこういうのも話のネタにはなるし、面白い経験だよな」などとフォローしてくれた。

うちのような過干渉家庭では、女子友達だけでの温泉旅行、ディズニーランド旅行にそれぞれ1回行ったのと、サークルの合宿に2回行けただけでも御の字か…。

サークルの先輩の車で女子も含めて4人でナガシマスパーランドに行くという企画は、「大学生の車の運転なんて危険」と行かせて貰えなかった。有名な絶叫マシンに乗りたかったのに…。

反動

大学生になってまで他の家庭よりも厳しい行動制限をされたので(周りの話をきいても大学生にもなって私より干渉されていた人はそうそういない)、当然のように反動は後から来た。

大学卒業後自宅を飛び出してから、同棲を3回経験した。いずれも真剣交際だったので、あてつけの行動ではなく必然のなりゆきだったのだけれど、心のどこかで毒親に対して「ザマぁみろ」と思っていた。

「以前は散々理不尽な規則に従わされてきたけど、もう昔とは違ってあんたらの管理は及ばないんだぞ!」というのが近いかもしれない。

3人目の同棲相手が今の夫なのだけれど、毒母の理想としていたお見合いで相手を探したとしても、この夫ほど私と波長が合う人とは巡り合えなかったと思う。

毒親に従うよりも、私が自らの意思でした選択の方が正しい、それは本当に気分が良い事だ。

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