過干渉型毒親家庭で育つということ

スパルタ教育型・過干渉型毒親の支配下から逃れ、自由を手に入れるまで。

強迫神経症

強迫神経症 - 恐ろしい想像が頭から離れない

 

京都大学に入学、通学し始めた頃、昼夜問わず恐ろしい観念に支配されるようになってしまった。

何とか浪人することなく後期試験で京大に現役合格できて、これから大学生活をエンジョイしようという時に、惨たらしい恐ろしい考が頭から離れなくなってしまったのだ。何故そのような恐ろしい想像をしてしまうのか、自分でも訳がわからなかった。

 

具体的には、

何かの拍子に電車のホームから線路に落ちて、電車に轢かれてしまうのではないかという恐怖。

高い所から落ちて、大怪我をして全身不随になってしまうのではという恐怖。

尖った先端や何かの破片が目に飛んできて失明してしまうのではという恐怖。

 

何故、こんな恐ろしい考えが私の頭を支配し、他の事を考えて気を紛らわせようとしても頭から離れないのかわからなかった。

電車に轢かれたら多分死ぬけれど(しかし轢かれる瞬間はまだ生きているわけだしとても痛いだろう)、二つ目と三つ目は、生きながらにして苦しむということである。そんな考えが頭から離れないのは、まるで本当にこれから起こってしまうことの予兆なのではないかとさえ思えて本当に恐ろしく辛かった。

 

何とかしたいと思い、図書館やネットなどで「不快な恐ろしい考えが頭から離れない」症状を調べてみると、どうやら強迫神経症らしいということがわかった。(今では強迫性障害と呼ばれるようだ)

毒親には話せなかった。毒母は、宗教的な事を異様に信じるたちで、何か悪いことがあると、祈願すればきっと良くなるはずよ、と言うに決まっているだろうからだ。

毒母は、何事も祈願すれば状況が良くなると信じ、私の心の問題には向き合ってはくれないとわかりきっていた。そもそも、子供の心について少しでも考えられるならば、毒親にはならないのだが…。祈りにすがり、物事の本質を見ようとしない、子供の心に向き合おうとしない、そのような毒母の姿勢を、私は今でも寂しく、悲しく感じている。

 

恐ろしい考えが頭から離れないのを何とかしたいと思った私は、大学のカウンセリングセンターを利用してみた。

初回のカウンセリングでは、カウンセラーに誘導されて、自分の生い立ちについて色々語ったように思う。

その時点では、特に有効な解決策は提示されず、あまり記憶にはないが、「りかこさんの親御さんはとても厳しかったんですね」と手短なコメントを貰い、「またそのような恐ろしい考えに襲われたら、空を見てあぁ今雲が流れているなぁと気分をそらしてみましょう」とかそんな提案をしてくれた程度だった気がする。

そして、その場で二回目のカウンセリングの予約をしたのだった。

 

あっけない解決

 

 

 

二回目のカウンセリングまで1-2週間の間があったと思うのだが、2回目のカウンセリングの前に、私の強迫神経症は治ってしまった。

私の強迫神経症が治ったきっかけは、なんとも陳腐なことだが、男だった…(笑)

学部のクラス飲みで仲良くなった男の子がしょっちゅう電話をくれたりデートに誘ってくれるようになり、その人とのお喋りが楽しく外見的にも好みだったため、私はその人のことばかり考えるようになってしまった。

その人への思いで頭がいっぱいになってしまい、私を強迫神経症にさせていた恐ろしい考え、(自分が轢断体・全身不随になってしまうのではないか、失明してしまうのではないかという恐怖)はすっかり頭の外に追いやられてしまったのだった。

小学校から高校までずっと女子校で、塾でも男の子と話すことなんてほとんど無かったので、男の子と連絡を取り合ったりデートするだけでもとても刺激的でドキドキすることだったのだ。

残念ながらその男は遊び人だったので、1-2か月で興味が他の女の子に移ってしまい、その後しばらく失恋気分で辛かったけれど、それはまた別の話。

 

なぜ京大入学直後に強迫神経症になってしまったのか – 私の推測

 

 

大学に入学するまで、何から何まで一切の自由が無かった私。

TV禁止、お小遣い無し、服も靴も自分が好きなものは買ってもらえない(土日は学校の制靴と祖母が送ってきた160cm用子供服を着用、ごくまれに母親がスーパーの2階で買ってくる激安の服)、友達と遊びに行くのも禁止。

大学に入学した途端、これからは(完全にではないにせよ)あらゆる事が幾分自由になるんだ、という事を、頭では理解していても、精神が現実のものとして認識できなかったのが、強迫神経症の原因では無いだろうか。

それまでの人生で、自分のやりたい事を何もさせてもらえない…という状況を強いられてきた私の精神は、さてこれから色んな事が自由になるぞ、という事実に適応できずパニックを起こしてしまったのだろうと思う。

何事も自分の思い通りにならないことに慣れきっていた私の心は、「これまで自由が無かったのに、これからは色んな事が自由になるなんて、あり得ない!」と無意識下でエラーを起こしてしまい、不自由な状態に後戻りしてしまうのではないか(失明や全身不随=つまり原因が親→身体になっただけで行動が不自由になるのは変わらない)…という恐ろしい妄想を生み出してしまったのだろう。

この推測は過去を俯瞰して捉えられる現在だからできるものの、当時は何故そのような妄想に取りつかれるのか見当もつかず、本当にそのような事が起こってしまう予兆なのではと考えてしまい、本当に恐ろしかった。