過干渉型毒親家庭で育つということ

スパルタ教育型・過干渉型毒親の支配下から逃れ、自由を手に入れるまで。

中学受験しないのに中学受験塾の講習に通わされた小学生時代 

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自分の子供の頭の良さを試したい毒母

小学受験の結果、小学校~高校まで一貫の女子高に入った私。当然、中学受験は不要だ。だが、教育熱にうかされた毒母は、「その勉強に意味があるかどうか」なんて考えもせず、とにかく子供に勉強を押し付けておきたい、という考えがあったようだ。私の学校での成績が良かったためか、その頭の良さを試したいという理由で(おそらく)、中学受験塾の公開模試を受けさせたりしたものだ。公開模試って、確か、土曜か日曜にあったはず。子供にとっても貴重な土日を、模試に費やすなんて。しかも、中学受験させる気がないのに、だ。既に公文だってやっていたし、ピアノだって毎日最低一時間はやっていたのに。

N学園・H学園・N研

とはいえ、塾通いは夏季・冬季・春季などの学校が休みの間の講習に限られていたのは幸いだ。塾の先生の授業中のジョークが面白かったりもしたから、塾に行くこと自体はそれほど嫌ではなかったのだけれど、宿題が難しくて嫌だったのを覚えている。特に中学受験の算数には独特の難しさがある。母は、関西地区で有力な二大中学受験塾であるN学園、H学園に興味があったようで、ある時はN、また次の時にはH、という風に気まぐれに通わされた。全国的に有名なN研の冬季講習にも行ったことがあるが、私が公開模試の結果、クラス分けで良いクラスに振り分けられてしまったためか、N研はさほど難しくなく、N学園・H学園の方がハードな塾(=母にとって、子供を通わせがいがある塾)と認識してしまったようだ。それ以降の講習はH学園、N学園に通わされた。

よその子の出来をよく記憶している毒母

塾の公開模試が返却されると、成績優秀者順位表の冊子が同封されている。母はそれをよく読んでいて、いつも上位に載っている子の名前をよく覚えていた。どれくらいよく覚えていたかというと、私が中学3年から(!)東大京大専門受験塾T会に通い始めた時の校内模試の成績上位者の名前を見て、「このxx君やOOちゃんって、H学園の模試でもよく上位に載っていたわね」などと言うのだ。3~4年前の順位表の名前を覚えているなんて…その子達に実際に会ったわけでも、知り合いの子というわけですらないのに…よその子の出来がそんなに気になるんだね。